2006年03月24日

★「奈良県少年補導条例」案が可決だそうですよ。

そんな訳で僕も奈良県民。ちょっとだけ考えてみる。
こうやって真面目っぽい話を訳わかんないながらも適当にしておく。→キュウイチさん知的。→キュウイチさん素敵。→モテ。


完璧。


話の流れ的には未成年の少年少女の補導に法的根拠を持たせる「奈良県少年補導条例」案が奈良の県議会で賛成多数で可決。
全国初の条例施行になるそうです。もちろん条例が可決された後に知りました。こんにちは、PSEのデジャビュ。

ニュースとかをまとめてみると、
・条例に定めた『不良行為』に該当した場合、所持品の任意提出をさせたり、警察施設への任意同行及び保護などを警察職員ができる。
・『不良行為』とは、20歳未満の飲酒喫煙・無断外泊・出会い系サイトの利用・正当な理由なく義務教育の学校を欠席、早退、遅刻してうろつく等の26項目。
・不登校や引きこもりの子を持つ親の団体とか日弁連は「子どもたちの人権が侵害される」と反対を表明。奈良弁護士会は今後施行凍結を求めていく予定。
・「警察の権限拡大につながる」と一部の議員は批判。県警側は「あいまいだった警察の活動範囲を明確にするものだ」と主張。超平行線。
大体こんな感じ。

えぇと、利権やら人権侵害とかの問題については誰か偉い人にまかせるとして。
とりあえず奈良県民の半分くらいは、『奈良県ってホント遊ぶトコが超少ない=補導件数も少ない=条例施行の意味ワカンネ。』とか思ってそう。僕は思った。

さらに田舎イメージ加速ですか奈良。
全国からはぐれてませんか奈良。
最初にこの条例案考えた人は子育てに失敗したんじゃないかと思いましたよ奈良。
やっぱり教育ママとかは喜んでるんでしょうか。10年後におさげが似合う委員長系女子が増えてたらそれだけで認めてもいい気がします。結論が不純ですね。ほんと生きててごめんなさい。

でもきっと条例が7月に施行されようとも、破る人は破るんだろうから別にいいんじゃないかなーと思ったりもします。条例程度で人生終わったりしないし。
そういえば僕も高校の時にどう頑張っても全然眠れない日があって、することもないから親にバレないように2階からそっと飛び降りて、自転車乗って隣町まで日の出見に行った事があります。
正当な理由も何もないからコレも『不良行為』に該当。心に刻まれたピュアな青春の1ページ→『不良行為』。

何だろう、地味に凹む。

2006年04月12日

★結構知らない人が多いみたいです。

そういえば今日こと4月12日は、世界初の有人宇宙船打ち上げ成功の日。
1961年にボストークで有人宇宙旅行を成功させた、ユーリイ・ガガーリンの「地球は青かった」というアレです。

実際ガガーリンは地球を見ていなかったなど諸説は色々あるみたいですが、もしそれが事実であろうとも人類史において永劫に名前とその言葉が残されるというのはやっぱり素敵なことだと思います。恐らく僕がその立場なら「うわデケェ!スゲェ!なぁラピュタ探そうぜラピュタ!!」としか残せてないでしょうし。

まぁ僕なんかの貧相なネタよりも事実はもっと面白い訳で。
日本人初の宇宙飛行士は1990年12月2日に宇宙船ソユーズに乗った秋山豊寛さん。

宇宙からの第一声は「これ、本番ですか?」

2006年05月02日

★今日も定時で帰りたい

昨日世間話してて初めて知ったんですが、5月1日ってメーデー(May Day)という日なのですね。『労働者の祭典』だそうです。日本でも憲法・教育基本法改悪阻止や労働時間短縮などを各地で訴えてる日みたいです。知りませんでした。勉強不足。
その世間話の最中に電話が掛かってきたので受話器を取ると、今日から休みなハズの先方からでした。どうやら休日出勤のようです。話の繋ぎに「そうだ知ってますー?」って軽い感じでメーデーの話をしてみました。

担当者:「あぁそうなんですね…。ウチの会社今日から休みなのに…男は全員会社来てますよ…ハハ…今日も終電っぽいですかね…。あ、ところでキュウイチさん。今日…何時まで会社にいらっしゃいます?」
:「定時ですね。」

メーデーですもの☆

2006年05月15日

★良い記念。色々と。

従兄弟の娘の「お食い初め」に参加してきました。
子供が一生食べ物に困らないよう願いを込めて、生後百日目の赤ちゃんに食べ物を食べさせる(フリをする)儀式だそうです。
ちなみに従兄弟の妹にも同じ年齢の娘がいて、兄妹そろって今年結婚&出産してるんですよ。ちっこい子供が2人も揃うと和む和む。

皆が笑っている光景を見てふと思いましたが、その従兄弟と僕は誕生日が一ヶ月違いで家もすぐ横。本当に生まれた瞬間からの連れになります。僕にもうその時の記憶はありませんが、僕が今日見たものと変わらないお食い初めの光景が、きっと23年前に同じ場所で行われていたんでしょうね。

昔のアルバムに写っていた小さな僕と、小さな従兄弟と、大きな鯛が並んでいる写真。次にその写真を見るときはきっと別の感慨が浮かんでくるでしょう。彼女達が成長したらひょっとして僕と従兄弟のような切っても切れない変な関係になるんでしょうか。なんとなく、悪くない気分です。楽しみがちょっとだけ増えました。

祝われた側から祝う側へ。この縁が長く続くように願っています。
僕が落とした財布との縁は切れたっぽいので朝イチで免許再発行してきます。

2006年06月07日

★夢にも思わない

小学校や中学校の時は自分の夢を自分でコントロールできました。明晰夢と言うらしいです。簡単に説明すると、自分が夢を見ている事を自覚することで、想像のままに夢の世界を組み替えることが出来るというもの。マトリックスみたいなものでしょうか。

訓練などをしたわけでは無く、ただなんとなく出来ていたものなんで妙な制限もありました。僕は『あくまでその時見ている夢の内容に沿って自由に動ける』『その夢からはいつでも醒める事が出来る』『二度寝をすると、半分くらいの確率でさっき見ていた夢の続きを見れる』くらいです。充分ですね。

夢の内容に沿って自由というのは、例えば自分が某5色の戦隊モノの世界で悪の組織と闘う設定の夢にいるなら(小学生ですから)、そこから無理やり西遊記のような世界には行けないみたいな感じです。思いのままに誰かを登場させるような事とかも無理でした。ステージそのものは変えられなかったというか。設定上の万能しか無いというか。
つまるところ当時の僕には『そのもの』を変えようとする『神様視点』が無かったのだと思います。訓練すればそういうことも出来るんでしょうか。調べてないんでわかりませんけど。

そうやって色々遊べていたんですが、睡眠時間が減少するにつれ回数も減っていき、高校時代にはいつの間にか出来なくなってました。いまでは夢を見たことすら覚えてません。僕が本格的に小説を読み出すようになったのは多分そのころからです。身近にあったはずの非日常が消えてしまった反動の如く読書量は増え続けています。

そんな訳で昨日と今日の日記のタイトルは宮部みゆきさんの小説から取ってます。大極宮の小説は面白いですよ。そうやって培った知識も経験も当時とは段違いにありますから、今また明晰夢を見れば当時とは違った事もできるはずです。
うーん。こういうの書いてるとまた見たくなるなー。訓練しようかなー。

そんでエ□い夢見んの。

2006年06月11日

★社会勉強をしてみる【その1】

先週の日曜になりますが、食事に誘われたので知り合いとお昼ご飯を食べていました。
適当に箸を進めつつ適当に雑談。食事も終わりデザートなんかをパクついていたら、不意に話を振られました。

『なぁなぁ、ア○ウェイって知ってる?』
「…いやー全然(実は知ってる)
『実は今、全然リスクの無いサイドビジネスやってて、それをキュウイチにも手伝って欲しいなーって!』
「ふーん。」
『なんか適当に話流そうとしてない!?今ちょっと説明するから!』

そして始まったお金にまつわるわるエトセトラなお話。僕的にはこの話題にどうオチをつけようかと考えつつ話を聞いてました。

『…とまぁこんな感じやねんけど。わかった?』
「えー。なんか怪しー。それってネズミ講じゃないデスカー?」
『違うから!ちゃんと話を聞いたらネズミ講とは全然違うのがわかるって!』

そうだよね。マルチ商法だもんね。

普段の僕ならこの辺りで話を打ち切るんですが、個人的に少し思う所があってハッキリと断らず曖昧な微笑を続ける僕。『何も解ってない人』を続けることにしました。
案の定その流れのまま帰り際に会社のDVDを渡され、返却を口実にまた会うことに(そういう戦法があるのも知ってました)。そんな訳で今日のサイト更新をした12時間後、何事も無ければ僕は成功してる先輩ディストリビューター(販売員みたいな人。ググろう)に会ってる筈です。さてどうしよう。

ちなみに行きはしますが、諸事情あって僕が入会してディストリビューターになる確率は限りなくゼロです。別にアンチでも無いので肯定意見や否定意見も含めて、真剣に一週間掛けてちゃんと調べましたけど興味は湧かなかったですよ。

その諸事情含めて続きは明日。オチが僕にもわからないので困る。

2006年06月12日

★社会勉強をしてみる【その2】

昨日の続きなんですが全くオチませんでした。ごめんなさい。

前回の更新を見ていない人はそこから見て下さいね。僕としては既にお腹いっぱいなんですが、とりあえず経緯を説明します。

お昼過ぎに待ち合わせ。車で迎えに来てもらったんですが、車に乗り込んだら「今日は曇ってるねー」くらいの気軽さで知り合いが言い放ちました。

『今日会う予定の人なー。用事で急遽千葉に行ってしまったんよ。…じゃあとりあえず今から行こか千葉。飛行機でいい?
「僕は夜行列車のがいい。…んで?じゃあ今日はドコ行くつもりなんよ。」
『…その人の両親(家族全員ディストリビューターっぽい)のトコ。』
「(゚Д゚)ハァ?」

そして到着する一軒家。挨拶をして世間話もしましたが、知り合いの友達のさらにその親と話なんて弾む訳も無く30分程で会話もブツ切れ。辺りに濃密に漂い始める『もうダメぽ。』な空気。ただひたすらに無意味な空間。沈黙が重いを通り越して痛い。

故に。
・僕が一週間掛けてまとめたデメリット系のプリント十数枚に及ぶレポートも。
・製品価格に含まれた特定利益を『流通コスト』や『広告料』として掲げているア○ウェイに対して『広告料を給料に貰っている』僕の仕事から見た反撃も。
・親友が既にア○ウェイに登録しているという手札も。

当然何一つ使わないままでした。涙の数だけ人は強くなれるらしいんで、とりあえず号泣してもいいですか?さようなら僕の一週間。
そのまま近年稀に見る実りが無い時間が過ぎさり終了。その時点で僕は既にやる気の無い返事を繰り返すだけの人形と化していたので、知り合いにとって僕は『何も知らないのにア○ウェイを疑い続けていた可哀相な人』として認定されました。なんだかね。いいけどね。


僕としても不完全燃焼でしたが仕方ありません。ネタにはなりませんが社会勉強にもなったので良しとしましょう。とりあえず夕方から友人とお酒を飲む約束をしていたので家に帰って少し休憩、頭を切り替えてその場に向かいます。待ち合わせ場所に着くとその友人が何故かスーツで待ってました。
『じゃあ行こかー』
「何でスーツなんよ?」
『ちょっと色々なー。』

適当に雑談しつつ車で発進。とりあえず何を食べようか相談しようと思って話しかけました。
「んで、ドコで食べるんよ。」
『いや、ちょっと"とある場所"に寄ってから行くし。その後でな。○○とか△△とかもいるで。』
両方とも小学校時代の友人です。まぁいいやと思いつつ放っておくと、とある場所に到着しました。

『着いたでー。このホールの4階。』
「ん。ココ何処?」
『なぁキュウイチ。ネットワークビジネスって知ってる?』


お ま え も か 。


人生稀に見る変な疲労が出てきましたが、断るのも面倒なんでそのまま行くことに。会場に着くと比較的小規模なセミナー会場。そして見慣れた友人数名と見たことない人達。共通項として全員黒スーツ。全員黒シャツ。全員元ヤン。


帰りたい。


僕はこの誘い方が違法なのも知ってましたが、その友人が普通に血縁なんで放り出す訳にもいかず、とりあえずセミナーも受けてきました。
そう何処かで聞いたような話を。
僕がこの一週間掛けて勉強した連鎖販売取引(マルチ商法)の話を。
延々。
2時間。

ようやくセミナーが終了。血縁は深みにハマってないみたい様子でした。放っておいても大丈夫そうなんでとりあえず安心。家に置いてあるレポートはまた無駄かと思いつつボケーっとしていたら友人と知り合いが揃って僕に訊ねてきました。
『どう?何か解らんトコあった?』
「全部。」
『(゚Д゚)ハァ?』

さ、ビール飲もうぜ?

2006年06月21日

★ダイエットについて考えてみる【その1】

人から見た体型の印象が『細い』から『薄い』へ進化というか退化しつつある僕ですので、たまに『どうやったら痩せれる?』とか訊かれることもあります。劇的な効果と短期間の変化を求めるが故にしんどいだけで、時間さえかければダイエットそのものは難しくない…はず…です。うん。需要は限りなく低そうですが、僕なりにダイエットの「考え方」なるものをまとめてみたんで、興味のあるかたは参考にでもどうぞ。

まずは目標設定から考えてみます。といっても目指せ体重○○キロとかそういうのではありません。具体的な数字では無く「誰から見て細いと思えるか」の目標設定です。男性から見た視点と女性から見た視点では「細い基準」に随分違いがありますし、同じように同性でも他人から見た視点と自分から見た視点もまた違うということです(自分を太いと判断しがち)。知ってる人も多いでしょうが痩せ型では無く通常体型の人でも概ねその人は標準体重より軽いです。もちろんそれは健康体重としての側面であり、日本において標準体重は「ちょいぽっちゃり」くらいだと思われます。ただ統計的に見ても男性が好きな女性のタイプはぽっちゃり型の方が多いそうですし、より多くの異性に「モテる」という観点でいくなら女性の多くはダイエットの必要がありません。現状の日本において女性が女性に見る「普通体型」は男性にとって概ね「痩せ型」に該当してます。

ですので自身にとってのベストな体重を決定するのは結構難しいです。パッと見て痩せてると思える人に「痩せてますね」と言っても否定する人が結構多い。曰くフトモモやお腹や二の腕などのパーツがヤバいと。一般に男性はお腹に、女性はフトモモや二の腕に贅肉が付きやすいそうです。ただそれは太っているわけではなく、そのパーツ以外が痩せすぎて見えるせいで他とのバランスが悪く見えるだけなのがほとんど。つまり大事なのは体重では無く体型におけるバランス。自分で自分を見るときにはパーツに目がいきがちなんで気をつけましょう。僕も!腹が!
ですからそれに気付かずもし真剣に悩んでる人がいる時には優しく、テメェもう充分じゃねぇか!と負の嫉妬で思う場合には卑しく、そっと言ってあげましょう。「そのままの君でいいんだよ?」あー言われてー。
バランスのいい体型になろうとするならよく食べてよく運動してよく寝ればいいんですが、人生という名の砂漠でそんな清く正しい聖人生活出来るかフ○ック。前提が随分長くなってますが、つまり太っててもこんな感じで余裕で言い訳ができるし楽な気持ちで痩せればいいじゃなーいと言いたいのです。みんなご飯たべようね。前置きと言い訳を終えつつ続きは明日。

2006年06月22日

★ダイエットについて考えてみる【その2】

昨日の続き。サンプルとして僕が1カ月半で?6.5キロ痩せた時の話でも。

『太った?』
3日間に別の3人から言われてしまい、その言葉に「肉は満たされても心が死ぬ」と気付いた僕はとりあえず学生時の体重に戻そうとダイエットを開始。
全体的に手っ取り早く痩せるにはランニングと水泳が一番良いのは解っていましたが、銀のスプーンより重たいものを持つと筋肉痛になる僕は食事によるダイエットをチョイス。普段の食事から炭水化物を抜いてみました。

もちろんご飯やパンのことです。食事からコレを抜くのって正直キツいんですが、少なくとも『運動しなくていい』のと『他のモノは普通に食える』訳で。それが僕にとっては他のダイエットよりも楽だと思える要素。どんなダイエットでもそうですけど、それが自分にとっての許容範囲であることが心底重要。人よりその許容範囲の幅が広ければ痩せる期間が短く済み、狭ければ時間がかかるという訳です。ちなみに預金通帳の残高が増えていく過程そのものに喜びを感じる人はダイエットに成功しやすいです。手段が目的化しちゃうので。僕も割とソッチ系。
僕の場合は炭水化物を抜くのに慣れた後、1日に摂取するカロリーも抑えるようにしたので2日間で?250グラムずつ順調に落ちていき、1カ月半後には学生時の体重へ戻りました。

人によって向き不向きのダイエット法があると思うので、具体的には明言し難いんですが、何かのとっかかりになれればとは思います。最後にダイエット中でも日常生活でもかなり使えるストレス解消法があるんでそれだけ記載。

・トイレに行く。
・頭に「ストレス」や「もやもやした気持ち」など、とにかく何でもいいんで体中の『悪いもの』を想像、それが一緒に出ていくイメージで小用を足す。王様の耳はロバの耳のトイレバージョン。

やたら簡単ですが以上です。うろ覚えですがプロボクサーが減量のストレスを減らすために使ってたストレス解消法です。上司に対する明確な殺意がいつかコ□スくらいにまで変化しますんで、刃物を取り出す前に是非どうぞ。パンプキンジャムでは刑務所ダイエットの推奨はしない方向です。

2006年08月29日

★人生に負けなんざ無ぇよって先生が。

毎日コミュニケーションズの調査で、今年の就職活動を一文字で表した漢字の第1位は「楽」なんだそうです。ふと思い返せば僕らの前後世代は不遇の青春時代なのであります。上の世代はバブル絶頂。そして泡が弾けて時代は不景気に突入。ケータイを持たなくてもまだ不自然じゃなかった最後の中高生世代を経験。巷にはガングロのルーズソックスなギャルが跋扈。高校を卒業したあたりでゆとり教育が導入されつつ、デフレのハンバーガーと牛丼を胃袋に納めていました。で、就職した後には好景気カムバックと。

ただ時代的に不遇だったからといって、幸せじゃ無かったかといえばそうではありません。僕が今の子供達のように小学校や中学校でケータイを持っていたら、きっとネット依存しまくってヒキコモリになってること請け合いですし、280円の牛丼を友達と毎日食べてたのは最高に楽しい思い出です。ゆとり教育も受けなくて本当に良かったと思いますし、人生に保険を掛けないと動こうとしない自分の生き方も割と好きです。

何より、さらに上の世代はもっと苦労しているんですから。だから、僕は幸せです。

…という負け惜しみを言ってみる。生涯をかけて。

2006年10月15日

★お祭り当日。

地元のお祭りに参加してきました。そんな訳で回想です。
3時に神社の境内へ行き準備のお手伝い。まず5時からのだんじり開始までにビールを3杯飲み売り上げに貢献です。ビールは売ってるのにツマミ系は売ってません。空きっ腹にビールが染み渡った酔っ払いが完成します。
片田舎のローカルルールなのか知りませんが、本当にお酒を飲めない人を除いて、大人はアルコール以外飲むことができません。『だってホラ。祭なんだから』という理由です。迷惑です。打ち上げ代わりの飲みを含めて帰ったのが夜の3時ですので、都合12時間アルコールしか飲んでない計算になります。そのうち誰か逝くと思います。

5時にだんじりを開始。例年通りに僕は先頭に立って、声掛けと先導をしてました。僕の掛け声に続けて子供達が同じ掛け声をするハズなのですが、空が明るいウチは子供達はあまり声を出してはくれません。ディズニーランドでしかミッキーの耳飾りをする気になれないのと割と似てます。周りは祭の空気にすらなってないのに、拡声器を使って一人だけ大声を出しているシュールな光景が浮かぶ奈良の秋空。空は曇っていました。

まわりが徐々に祭っぽくなっていくなかで、徐々に弱っていく僕。拡声器で大声を出し、ビールを飲み、持参したのど飴を舐めてるウチに前半終了。時刻は6時ちょい。一度解散して休憩に入ります。

おでんを食べながら公民館での雑談タイム。男率100%の光景に別の意味で疲れ果てます。出てくる飲み物はさっきと違い、缶ビールではなく瓶ビールです。選別者はアサヒスーパードライがお好きなご様子。キリンクラシックラガーも置いてください。
休憩なのに休憩にならない感じで酔っ払い、後半開始。夜になると割とみんな声を出してくれるようになります。ついでに小学生が絡んできます。詳細は記しませんがコレだけは言わせて下さい。最近のガキは生意気です。

祭そのものでいくつか発見もあったし、考えさせられることも出てきたんですが、面倒なんで今の状態で十分長いんで止めときます。来年書けばいいし。

結局終わったのは夜の9時半。翌日の声はガラガラですし、二日酔いですし、声の出しすぎと子供の相手で身体は筋肉痛。貰える報酬といえば祭の後に子供に配るお菓子詰め合わせの残りが何個かだけです。
割に合わないことこの上ないですが、来年もしてんじゃないかと思います。

だって祭だし。

2006年10月21日

★レム=ピーター

『DEATH NOTE -デスノート-』の映画前編が来週の金曜ロードショーで放送されるみたいです。前編公開からまだ3?4ヶ月くらいしか経過してませんが、前編の客入りが良くて懐が暖かいのか、まだ調理の余地がある食材を楽々捨てる姿勢が資本主義っぽくてステキです。半年以内に後編が公開されるのは元から決まってましたので、予定調和と言ってしまえばそれで万事解決な気もします。

デスノ前編が予想以上にヒットしたのは、漫画第一部の前評判のおかげであることは否定できないと思います。ただ原作に沿った内容はアニメで放映されるみたいですし、映画版としては違いを出す他ありません。『DEATH NOTE』そのものの大きい括りがあるためDVDによる特別感も少ないですから、後編の収益用に放送しようとするのは至極まっとうな感覚なのかもしれません。多分DVDは前編後編とプラスアルファ何らかのグッズと抱き合わせて販売するんじゃないでしょうか。

ですがそれは、ただひたすらに『売る側』の都合です。

映画館で映画を見るとき、女の子が黒い涙を流して『映画が盗まれています。』と訴えかけてくるCMもどきをご存じでしょうか?不正ダウンロードによる海賊版の撲滅キャンペーンです。僕には今回の民放によるスピード放映が、それとどう違うのかがいまいち良く分かんないです。制作者が認めているかの違いでしょうか?CM内では『感動も盗まれている』と言ってるんですが、お金払ってまで前編見た人の感動は置いてきぼりにされてる気がします。そうやって一度斜めに物事を見てしまうと、海賊版撲滅キャンペーンの意味である『保護されるべき権利』すら『利益の追求』という穿った視点になってしまう気がするんですよ。

よく続きモノの映画はダメだと良くいいますし、漫画の内容そのものを映像化して欲しかったファンや、今回のような『またテレビでやるからいいだろう』と思う人。ミサミサのイメージが違うじゃねぇか!と憤慨する大きいお友達など、複数の要因が重なれば後編はコケるかもしれません。このあたり前編後編と連続で公開する違いと、実写とアニメという違いがあるかもしれませんが、ジブリさんちの吾郎お兄さんの将来と何故かダブって見えます。多分気のせいだと思います。

映画館でちゃんと見た僕は、無論応援しています。

2006年10月25日

★SBM。

今日は話題があるので楽です。ニュースでビシバシと流れてますが番号ポータビリティ(MNP)が始まりました。ソフトバンクが『ヨソウガーイ』なことをしてますけど、本人の言葉に反して色々ややこしいみたいなんで、とりあえず静観しておけば良いのではないでしょうか。とりあえず落ち着いて待ちましょう。彼はいま思春期です。とりあえず一ヶ月も待てばネット上にレポートもまとまってくるでしょうから、身を削ってくれた先人達へ『勇者乙。』と労いつつウィルコムを選択できれば本物さんです。

それにしても一日前の発表というタイミングや露骨な戦略による撒き餌、メディアの使い方が大変にエグくてステキです。褒めてます。ケータイにとってMNPは確かに重大な転換期ですけど、市場が鎖国してる日本で『メールアドレスの変更不可』というネックや『手続きの面倒臭さ』『誰もが一斉に変更する訳ではない』点から、ニュースには取り上げられる事が予想されつつもポイントに欠けていたこの話題に、巨大な『取っ掛かり』を作ることでMNPに関するニュースの編成が全てソフトバンク主体へと切り替わりました。宣伝という観点で見ると素晴らしく効果的だったのではないでしょうか。でも今日一日で競合他社と自社の店頭販売員には凄く嫌われたと思います。

とりあえず26日にもう一つ予想外な発表があるそうなんでそれに期待しておきます。
あと孫ちゃんが『予想外』という言葉を流行語大賞に持っていこうとしてる空気を出してる気がするんですが、多分気のせいだと思います。

2006年11月27日

★賭け事はしないですよ。

夢ぐらい見てもいいじゃないの精神で、年末ジャンボ宝くじを購入してみました。大阪駅前第4ビルに特設された有名な売り場があるのでそこで買ったんですが、大量の売り子さんが黄色い服を着て横一列に並んで売る光景が、『24時間テレビ』とダブッて見えます。やってる事は逆なのにコッチの方が何故か健全に見えるのは、多分僕が健全じゃないからです。他意はありません。はい、ジャンガジャンガジャンガジャンガ ジャンガジャンガジャンガジャンガ ジャンガジャンガジャンガジャジャーン。

今のところ日本で売ってる宝くじの最高額は『toto』の『BIG』で最高6億みたいです。たしか『toto』単体の売り上げが不振で、新しく出したのが『BIG』だったと思いますが、どうにもマイナー感が拭えてない気がします。Jリーグという狭い枠組みで宝くじというのがそもそも敬遠されるんだと思いますけど。あと宝くじは本当に『くじ』で。totoは『賭け』という先入観も多少はあるかもしんないです。ジャンボ宝くじは買っても他の宝くじは買わないって人は割と多そうですし。このあたりガンダムはファースト以外認めない懐古主義マンセー組と、Wとか種とか腐向けの腑抜け主義マンセー組が決して交わらないのに、『一般人』という枠組みから見れば『ガノタ』という同じ階層にカテゴリーされてるのと割と似てます。

当人は幸せで、世間的には関わらない方が実は幸せだと思われてるトコとか特に。

2006年12月01日

★てけとー。

師匠も走り出す勢いで12月。急に寒くなったし風邪も流行ってるみたいなので注意です。
今日は社長も風邪を引いて病院行ってたみたいですし、仕事先の人も体調不良でお休みでした。別の仕事先の人は心の風邪で今週の始めから行方不明です。お元気でいらっしゃいますか?

何事においても全力投球してるというか、コレと決めた事に対して一所懸命に取り組んでる人でも報われない時は報われない。『1の疑問』に対して『1の解答と2?3の予備解答』を用意したり、『完全なる1の解答』を準備したりするのは確かに優等生的なのかもしれませんが、その分時間も手間もかかるから周りの大多数からは孤立してしまうというか。『まぁ空気読めよ』みたいな。

ちょっと比喩が入って分かり辛くなっちゃってますが、多分日本人は労働における対価以上の仕事をし、『頑張った自分』に対して悦に入るのが好きなんだと思います。でもその分、鬱憤は溜まりやすいのでこまめにガス抜きをしないといけないんですが、頑張る人は溜め込むストレスのキャパも多くて一気に大爆発まで我慢できちゃう感じ。『私はこんなに頑張ってるのに!』の境地です。大概は完璧主義者なんで細かく色んな事を指摘して嫌われるタイプなのが泣けます。頑張ってる分の給料貰ってるなら良いですけど。肩書きはリスクの重さですし。将来的な見込みがあって無理するなら構いませんが、給料分以上の仕事をしないのも権利です。

そうならない為にも多少は頑張りつつ、でも日々は適当に生きることを人生の至上目的に掲げてる僕は、人に用事を頼まれた時もとりあえず「あー何か適当にやっときます。」と答えるようにしてます。適当って本来良い意味ですし?だから打ち合わせの時に口癖のように呟く「でもその分お金かかりますよ?」は適当に適当な事を言ってる訳じゃないですよ。ホントに。そんな目で見ないで。

ストレス発散用には、毎月飲み会を開くようにしてます。
割と頑張って参加を促す文面とか作るんですが、結構な数に一斉に送ったメールの『返信』が4日で2通。

君らの気持ちは受け取った。適当すぎる。空気読め。いや、読んで下さい。

2006年12月21日

★年末派が成功するかと言われればまた違う。

今年はクリスマスイヴが週末でクリスマスが月曜。その後1?2日経てば休みみたいな感じだから、世間的には『もう来年でいいじゃん…』的な空気を出してる人間と『年末までにここまで終わらせてやる!』とやたら張り切ってる人間の2種類に大別できる気がする。

年末派は目標設定値を決めているから、自分の分だけやたらガンガン進めていく。そして恐らく年末の最後の最後に、来年派に向けて『じゃあ年明けからはこっからのスタートだから』と空気を読まずに言い残していくのだ。そして休みは平等に訪れ疲労もリセット。年が明けた時にはスタートラインで歴然とした差が生まれてしまう。

当たり前の事だし実際よくある光景なんだけど、これが年末というスパンの短さや仕事という会社の後ろ立てを抜いて『受験』や『人生』に置き換えてしまうと正直笑えない。ここ一番で頑張れる年末派は多分学生時代も勉強したんだろうし、人生においても多分負けにくい。

どちらが正しいか言われれば、当然年末派という事になるんだけど、とはいえ年末派になりたいかと言われれば割と拒否したい。仕事においてなら必死で頑張る分イライラしたり割を喰いやすいのも年末派だし、世の中頑張るだけではどうしようもない部分もある。それに今更ヌルい生き方を変えるのも難しいだろうから。僕は来年、いや、来世でいい。

生まれ変わったらアシカになろう。現物対価で芸を披露。客に水掛けるのが趣味。

2006年12月23日

★会社に冷蔵庫無いんです。

毎年のことなんだけど社長の知り合いから会社宛にケーキが届いた。贈り物では無くて正真正銘の在庫処理。午前中に運送屋さんが『要冷蔵』と書かれたシールを貼り付けて恭しく持ってくるんだけど、その後会社で軽く12時間ほど暖房に晒されるから結局誰も持って帰らない。

今年は何とホールで3個。良心的。去年バタークリームのホールが10個届いた時は新手のイジメにしか見えなかった。今年はちょっと前に入社した何も知らない後輩が2個持って帰ったから今年は1個捨てるだけで済みそうな感じ。来年はまた全数捨てることになると思う。

入社して1年目はもったいないと思って3個家に持って帰った。頑張ってホール3分の2は一人で食べたけど、それ以上は無理で結局捨てた。もともと安売り専用の質が悪いケーキだったし、クリーム中にヒビも入ってるから人にあげるのも躊躇うような代物。2年目は1ホールだけ持って帰り、3年目はちょっと考えて持って帰らず。今年は考えてもいない。

このケーキを贈ってくれてる人は善意での行動なんだと思う。『捨てるくらいなら』と思ってわざわざ送ってくれている。その善意にお礼を言いつつゴミとして捨てるとか割と心情的にキッツイんだけど、じゃあ『どうせ捨てちゃうんで最初から送らないで下さい』なんて言える訳もない。僕個人が云々とかは問題にすらならなくて、商業としてクリスマスを考えた場合には心情的にも帳簿的にも『じゃあどうすんだよ』って論点はズレ続けて結局答えなど出る訳が無いのだ。あと個人的にほんの少しの欲を入れるなら、どうせなら僕だって美味しいケーキが食べたいのだ。この話は、多分それだけでも終わる。

今日は饅頭買って食べた。ケーキが食べたくなかったからじゃない。決してない。

2006年12月28日

★明日は酔ってるので休みです。

今日会社の大掃除をして仕事納めの忘年会をする予定。とはいえ家の大掃除も出来てないし年内もガッツリ仕事は残ってるから年末まで馬車馬の如く。まだだ、まだ終わらんよ…!

とはいえ休みは満喫したいので、昼に遊びつつ夜に出社して徹夜で仕事してる可能性が割と高い。よく早起きは三文の得って言うし、いつもより12時間程早く起きたと納得出来れば万事オーケイ。生きるのって難しいですね。

適当に言ってるように聞こえるけど、この勘違いっぽく自分を騙すのって割と有効だと思う。気力と体力を天秤に掛けた場合、優先して回復を計らないといけないのは明らかに気力。身体は賢いから何も考えなくても元の状態に戻ろうとするけども、気力の場合は戻そうと思わないと戻らない事も多い。

『ご飯を食べる』『日が暮れる』『お風呂に入る』など、1日の中には多分大なり小なり色んな区切りが沢山あって、その区切りの中で「今日はアレしたし時間上手く使えて何か得したなー。」と思えただけでも、モチベーションの下がりかたは大分違う。この場合だと『昼』という大きい区切りを遊びに使えた事によって『1日ちゃんと遊んだ』っていう勘違いが生まれて得した気になる。その後仕事するんだから当然その分きっと体力は減ってるし、いつもより疲れるし、きっと勘違いなんだろうけど、自分がそうだと信じてることで結局モチベーションは維持出来る。勘違いだろうが何だろうが、その時点で勝ちな気がするのだ。

夜の決まった時間にお風呂に入ってる人は、たまにでいいから夕方にお風呂に入るといい。お風呂という小さいリセットが前倒しされた事で、ほんの少し夜が長くなった気になるから。

…と、勘違いさせるのです。

2007年01月07日

★切手が地味に余ってて困る。使いきりたい。

年賀状がまだ届いてないって友達から連絡きてた。"元旦に"届けるために郵便局が指定してるリミットは25日で、確か22日前後には出してるんだけどアウトだったっぽい。まぁものっそい遅延か配達ミスか捨てられたとかだと思う。そういえば今日明日は日・祝だから多分配達はしないっぽい。ザルいな日本郵政公社。

去年あたりから話題になってきた問題ぽくて、今年はさらに多いらしい。休みだし雨も降ってて暇なので簡単にまとめてみた。


突き詰めると最大の理由は経費削減。会社が無駄なコストを削ぐように郵便局も民営化により大幅なコスト削減を行ってるらしい。年明け後の区分要員を大幅に減らしてたりするみたい。全ては効率化の名の下に。

その分の差を埋めるためにJPS(ジャパンポストシステム)という名前で『トヨタ方式』を導入してるトコもあるそうなんだけど割と不評らしい。トヨタ方式を簡潔に説明するなら『あらゆる無駄を省いて可能な限り速いペースで滞りなく作業する方法を実践する』で大丈夫だと思う。座ってしていた仕事も全部立ち仕事になってるらしいけど、ホントに実践してるのかどうかはよく知らない。


年賀状が届くまでをものすごく簡単にチャートにすると…

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ポストに投函(1)

ポストの管轄の郵便局に届く(2)

配達先の家庭を管轄する郵便局別に区分される(3)

配達先の家庭を管轄する郵便局に届く(4)

各家庭ごとに区分してまとめる(5)

配達(6)
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…になるんだけど、そのうち区分には『機械区分』と『手分区分』がある。郵便局で売ってるような年賀ハガキは区分機で区分できて、それ以外のモノは手作業で区分。手作業オンリーなトコもある。人が使えないので『機械区分』の稼動負担が増えるんだけど、機械は一箇所間違っただけでも容赦なく省くし、人手が足りないからその事故処理の確認も出来ない。実際今年初めて区分機が導入されたトコロも割とあるそうな。友達が郵便局で訊いて教えてくれた。感謝。

転送や還付年賀の作業もあるし、つまり絶対数が捌けないので元旦持ち出しは減る。人が足りないので郵便局名物の短期メイトに道順の点検をする時間が無くなる=至る所で誤配が発生する。迷ったあげくハガキを捨てるメイトも増える。職員はかわいいメイトの女の子と仲良くなりたい。色んな悪循環が重なった結果ですよ。


来年はさらに集配局の再編もあるんで、今年以上に遅れると実感する人の数はもっと増える。今までちゃんと届いてたのは採算度外視による人海戦術による結果であり、今後民営化数年経過することで多少は落ち着くけれど、今までのように『当たり前』に届くのを期待できそうにない…多分こんな感じであってるのかな?


最後に備忘録代わりの参考を。友達から返ってきたメールを見ると、県外になった途端に到着率がほぼ全滅してるけど、届いてるトコもほんの少しだけあるみたい。県内の友達には元旦には届いてないけども大体3日前後には全員到着。県外に住んでたんだけど、転送で県内に送られた友達のトコには6日に到着。僕の年賀ハガキは手分区分になるハズなので、チャートの(3)『配達先の家庭を管轄する郵便局別に区分される』あたりででどうにかなっちゃた気がする。来年はハガキに投函日でも書いとこう。


そんな訳で郵便局も色々大変だ。気持ちはわかる。だから苦情を入れようと思ったけどやっぱり辞めようなどとは微塵も思わずガッツリ電話。

いや、ちゃんと出したし。

2007年01月14日

★狛犬がデカかった。

遠出して住吉神社まで初詣に行って来た。一回行ってみたかったのよね。
せっかくなんで絵馬も書いてきた。吊してあった他の絵馬にも色んなこと書いてあって割と感慨深い。

B'zの稲葉さんが『ねーがいよ叶えーいーつの日かー♪そーなるよーに生きていけー♪』って歌ってるように、絵馬に書き記す行為ってのは願いを叶えて欲しい為に書くのでは無く、文字にして書くことでその願いを再確認するものだと思ってる。神頼みそのものには科学的な根拠などない。ただいずれ薄れるかもしれない気持ちや決意、その思いをほんの少しだけでも蘇らせ、保たせる事ができる存在というのは実は意外に少ない。僕も本気で信じてる訳じゃない。でも本気で願って参拝してみると、予想以上に気分は良いよ。

おみくじ引くときに「エッダ?アンハッマ?」って邪教ぽく箱振ってたら見事に『凶』が出たけど僕は元気です。

2007年01月16日

★服とか高すぎ。

久々にブーツ購入。バーゲンだから30%オフで買えた。
身に付けるものの中なら、まず最初に靴を買うようにしている。靴を買うと今度はそれに合う服が買いたくなるのが理由なんだけど、以前友達に言ったら『ナニソレ?』とか言われた。理解できないそうだ。その友達は3年服を買ってないと言ってた。理解できない。

お金はかけなくていいし、オシャレである必要すらないけど、ストレス解消にもなるし出来れば服はこまめに買いたい。よく10年でファッションは一回りするとか言うけど、10年前と今とではどこかが違う。親がモノを捨てられない人だから、たまに『昔着てたヤツでこんなんあるけど着る?』と言って見せてくるけど、やっぱりどこかが何となく違うのだ。両親の目から見れば、今でもその服は現役に見えるんだと思う。

大人になると着る服に対して許容値が増える。『こういう服もアリだろう』みたいな。少し前まで「何でこの人はこんな服を着てるんだろう?」とか思っていたのに、今ならその良さが分かったりする感覚。今の自分がアリだと思ってる服だって、十代から見て『うわヤッベ。』とか思われてる可能性はあるし、今流行の服だって2?3年もすれば違和感が出てきてる『ハズ』なのだ。例え自分的に大丈夫でも、その目に絶対の自信が無いのなら一定のサイクルで服を入れ替えた方が安全だと思ってる。古着はまた別。

許容値の極地は大阪のオバちゃんが着てるアニマル柄。狙ってやってる人もいれば本気でセクシーと思って着てる人もいる。
たまに着る服は何でもよくなっちゃったお父さんとか見かけるけど、アレはその分を生活費に回してでも頑張ってるんだろうし、逆に格好いいかもしんない。

その格好良さすら、許容値が増えないと理解できないってのがまた難しいんだけど。

2007年02月24日

★あの分量だと読み終わるまで40分。

月刊少年ジャンプが休刊するらしい。父上が月刊少年マガジンと合わせて毎月買ってたので15年くらい毎月読んでた。15年という月日に自分でも若干引く。

週間・月刊問わず今でもジャンプやマガジンは読んでるけど、最近では読みたいから読むというより何となく惰性で読んでる感が否めない。漫画の質がどうこうよりも、昔のように純粋に漫画を楽しむ行為が出来なくなったんだと思う。

面白い設定や個性的なキャラクター。振り幅としての広がりはあるものの、素材としての資源が有限である以上、ある部分ではどうあがいても早い者勝ちになってしまう。読んでる途中で何処かで見たものや似たものが出てくると、どうしても『あぁコレか』と軽く醒めてしまう感覚。『飽き』や『慣れ』は面白さよりも目に付きやすく、また広がりやすい。適度な新鮮さや面白さを『保つ』行為は、思ってるよりはるかに労力を使うため、何事においても一番難しい。漫画家とは本当に大変な職業だ。

その努力に報いるためにも、やはり僕としては惰性が混じろうが漫画を読まない訳にはいかない。
澄んだ瞳と気高き志。発売日に仕事をサボって読む情熱。

2007年03月07日

★今も飲んでます。

今日あたり気象庁が『桜の開花予想』を発表してるはず。場所によっては記録的に早く咲く可能性もあるらしい。
することといえば普段の飲み会と変わりないけど、桜の下にビニールシート敷いて飲むだけで普段の何倍も楽しい。

日本の花といえば桜と答えられるほどイメージが出来上がってしまってるせいか、花見は風流感が異常に先行しやすい。人が頭で桜を思い浮かべると一面に咲き誇る薄ピンクの花々が出てくるけど、実際に見てみると思ってるより木に花はついてないし、お酒に落ちた花びらもオツなイメージがあるけど、3枚以上の花びらがコップに入ってると結構飲む気とか失せる。それでも数日経つと『あぁ、風流だった。』に切り替わる不思議。月見や雪見もそうだけど、日本人は動物だけではなくて、物や風景といったものにすら感情移入しやすいというか。自分の情感を何かに写し出すことに随分長けてる。

日本で漫画やアニメがここまで発展した一端には、書く側も読む側も無機物とはいえまさしく『ヒトガタ』のものには感情を乗せやすく、空気や間といった細かい描写にも共感を持たせやすかったのもある気がする。どの分野においてもその最高峰は偏執的に突き詰めた結果であることが多い。日本の場合その土壌がたまたま二次元方向に向いていたために、独自かつ広く発展した可能性が捨てきれない。

このようにあちこち話を飛ばしながら、飲んでる最中にそんな話を切々と語り続けます。タチの悪い絡み酒です。

2007年03月16日

★結構壇上で表彰されたクチですエッヘン。

3月といえば卒業式だけど、その卒業式のリハーサルほど心萎えるものも珍しい。飽きる程繰り返される『一同起立』の言葉は、ごく当たり前に卒業生から『感動』の2文字を奪い去る。ただそれが間違っているのでは決してなく、先生がマイク越しに伝える『今年は君たちが主役ですよ。』という言葉は『今年は君たちが主役(の劇)ですよ。』という事であり、卒業式というイベントそのものの主役は、保護者だ。

事実、卒業式単体で泣く卒業生は割と少数だろう。人の涙腺は人との関わりで緩む。今の時間を失ってしまう悲しみは誰にでもあるけど、それを感じるまでのスパンは、それまでどう過ごしていたかによっても違うし、受け取りかたもそれぞれだ。

ただ保護者からすると、自分の子供が立派に式典に参加した、履修を全てやり終えたという事実に感動する。卒業式を『芝居』。卒業生を『役者』。保護者を『観客』に置き換えると分かりやすい。観客は自分の子供が演じた役を見にきていて、それをきちんと見届けて感動したいのだ。つまりそもそもの感動を覚える集約点が違う。たまにニュースで『アーティストの○○さんがこっそり卒業式に現れて唄を披露、卒業生に一生の感動を与えました』とか見るけど、正直ああいうのは好きになれない。ゲストが主役を勘違いしてはいけない。

僕はまだ『役者側』でしか参加したことが無い。おそらく『観客側』に座れば違う感慨が生まれると思う。卒業式なんて全部同じじゃないかと考えてる人が近くにいるなら、僕はそうやって説得したい。きっと、すごく感動するよ。

制服姿とか袴姿のエ口さに。

2007年03月31日

★それでユビキタスって何ですか。

今日から『イー・モバイル』がサービスを開始。松下奈緒の「指、きたっすネ」という台詞は正直どうなんだろうと思わないでも無い。カワイイから全て許されると思ってたら大間違いだ僕は全力で許す。

今のケータイの仕様は電話機がパソコンに近付いて進化した結果なんだけど、イーモバイルの場合はそれとは逆で、パソコンが電話機に近付いたものに近い。むしろ小さいノートパソコンに電話が付いたと言った方が正確かもしれない。料金サービスも端末を安くして月額料金で稼ぐ今のケータイとは逆で、端末の値段を高くしつつ年契約で割り引く感じ。音声サービスは08年の開始予定らしいので電話としての機能はさておき、滲み出るモバイル端末特有の女子供は引っ込んでろ感と共に、色々実験的で割と好感が持てる。

パソコンをメインにネットをする層とケータイをメインにネットをする層は全く違う。パソコン組はケータイで見る遅さを知ってるのでパソコンで見ようと考えること多いし、ケータイ組はそもそもケータイのネットで十分だと考えてる。そのあたりをつついて上手く取り入れられれば、隙間産業的に大成功もしないけど大失敗もしない程度には売れるんじゃないだろうか。

細く長くまったりと。何事もほどほどくらいが丁度いい。
ネットという隙間産業そのもので今日も今日とてまったり更新。

掃き溜めへ、ようこそ。

2007年04月22日

★意味のない機能と意義のない話。

ケータイを機種変更してきた。防犯対策なのかボタンを押すとブザーを鳴らすこともできるんだけど、あくまでおまけ程度の防御にしかならない。今の技術力なら攻めの防犯対策にスタンガン程度ならつけられそうなものだけど、悪用の危険性があるから無理なのかもしれんね。

防犯ブザーの音に色んなバリエーションをつけてみるのは割と良いアイデアだと思うんだけどどうだろう。パトカーのサイレン音だと相手はビクってなりそうだし、『お経』『ガラスや黒板を引っ掻く音』『色んな人の気持ち悪い笑い声』とかも効果ありそうだ。性犯罪系なら大音量でビビらせることに加えて、相手を萎えさせる力を持った音を加えた方が効果的だと思う。

あとは『断末魔の悲鳴』とか『助けてー!』という叫び声とか。車やバイクの盗難用と間違えられることもあるかもしれないし、悲しいことにブザー音程度では助けを期待できそうにもない世の中だ。怖すぎて声が出ないという可能性だってあるだろうし、代わりに叫んでくれるものがあるというのは結構アリなように思える。流石に誰か来るだろう。

ただ間違えた時は死ぬほど恥ずかしいだろうけど。というかそういうイタズラに使われるから、一回りしてやっぱり無理なのかもしれんね。

2007年04月23日

★回。

『4058-3149』と『9413-8504』は両方とも答えが『909』で計算式と答えの両方が回文。文系としては言葉の回文よりもむしろこっちの方が不思議に思える。


数字に強い人から見れば不思議じゃないことなのかもしれないんだけど、そのあたりどうなんだろうか。やっぱり理系の考え方というのがあるのかもしれない。そういえば中学の頃、数学の授業で『どうして使わないのに数学なんて覚えないといけないんですか?』と誰かが担当教諭に質問したことがあった。多分これも文系な考え方なんだろうね。

その時先生は『数学は身近に溶け込みすぎてるだけで、君がその重要性に気付いてないだけだ。』とおっしゃっていた。社会に出てようやくその意味がわかってきたけど、悲しいかな当時の僕はそれを理解することを出来ず、先生が話す数学以外の話ばかりを今でも覚えてる。


国語担当の先生が授業に遅れてた時、急にその数学の先生がクラスに入ってきて『はい国語の授業を始めまーす』と、適当に授業を始めたこともある。黒板にまず『あいうえお』と書き、生徒に国語を覚える意味を教え始めた。

『ハイいいですかー。人は「あい」に「うえ」る生き物で、それを理解する為にまず「おか」あさんに「きく」ことから始める訳ですねー。で、大人になってその意味をより深く理解するために「けっこ」んし…。とまで話した所で国語の先生が到着したので、そのままアッサリ授業を辞めて帰ったりしてた。五十音の最後まであるんだろうか。続きが聞きたい。

他にも『えー、数字の区切りがなぜ1~10の単位で区切られてるかというと、人間の指が10本あるからで…』とか、授業の合間にそんな話をよくしていたように思う。今改めて考えると、学ぶことに対する面白さとか『最初の概念』を教えようとしてたんじゃないだろうか。


きっと良い先生に出会えていたんだろう。数字の面白さから教えようとしてくれたのだから。僕は当時そのチャンスを見逃したけれど、その最初の概念だけでもこうして思い出せてることを嬉しく思う。

でも確か『世の中ね、顔かお金かなのよ。』という回文もその先生に教えてもらった言葉だ。
学ぶことの素晴らしさはドコに。

2007年05月03日

★客層。

高級と形容すべきお店で天ぷらを食べる機会に恵まれた。ものっそい美味しかったので機会があればまた行きたい。とはいえ全席カウンターしか無く、客層も社長部長クラスや娘さんとその"パパ"っぽい人ばかりだったので、僕個人で行くには格と覚悟と貫禄に不安が残る。数年先になりそうだ。

人に寄って入りやすい店や場所は違う。現代版の結界と言い換えてもいいかもしれない。例えば高級ブランドがダイチュキそうなキレイ系お姉さんがもし『とらのあな』に入ろうと思うなら、それこそ虎の穴に入る程度の勇気は必要だろう。文字通り喰われそうになる恐怖が味わえんじゃね?というのはさておき、店に入る必要性が無ければ店そのものが目に入らないし、入るにしても躊躇がある。この例えはちょっと極端すぎるけど、性別や年齢、収入や嗜好その他エトセトラの違いがあるからこそマーケティングという分野があるのだし、だからこそ商売においてターゲット層は絶対に無視することが出来ない。

逆に考えると見た目と中身を差し替えれば、ちょっとした勘違いを利用した新規分野の開拓も不可能では無いということだ。

詐欺とも言う。

2007年05月14日

★広告展開にみる戦略展開。

DoCoMo2.0のCMを見るとauの初期を思い出す。豊川悦司、永瀬正敏、浅野忠信がイメージキャラクターだった。CMそのものでは無く、狙おうとする方向性が非常に似てる。

別にauが時代に先んじた宣伝をしていた訳では無い。事業開始当時から今の今までDoCoMoは圧倒的なシェアを持っていたため、必然的に広告展開も『保守』にならざるを得ないところがあった。今のauが『お客さま満足主義』とか篠原涼子や速見もこみちなどのイメージキャラクターで『キレイ目』な広告展開しているのと近い。

アナログ方式からデジタル方式に全て切り替わったのは2000年頃で、今の各キャリアが出揃ってからの歴史はまだ浅く、各社に明確な色があった。DoCoMoをベーシックと考えて、Jフォン→ボーダフォンはイメージキャラクターを藤原紀香→ベッカム、伊藤美咲、岡田准一などで『OL』『国際標準』『カップル』あたりをウリにした。auは端末や広告で『学割』や『個性』など面白さや独自性を追求し、ツーカーは一貫して『安さ』と『シンプル』を強調し続けた。


この『らしさ』は転機が無いと変更し辛い。Jフォン→ボーダフォン→ソフトバンクの場合、買収のアレコレで方向性が色々と変わった。ベッカムがCMに出て『国際色』を謳ってた時が一番迷走してた気がする。日本のケータイは独自色が強いので反応は薄く、この辺りの広告展開は失敗したと言っていい。大きい転換期はボーダフォン時代の『Love定額』という仕組みで、ソフトバンク時代になってもその時の『喋り放題』というイメージを念頭に置いて広告やCMを作ってる。

auは『学割』という明確な違いを早くに出し、CMなどでは敢えて『業界2位』を強調したりと独自性が強かった。若者向けが当初から念頭にあったためか、広告展開も意欲的なものが多く面白さや奇抜さが目立った。明確な失敗を"まだ"していないので、純増数が増えてシェアを獲得していくうちに、挑戦的な流れから『着うた』や『GPS』などの商品をCMに組み込んだり、品質やサービスの向上を訴えつつ別の世代を取り込もうとする今の保守路線にゆるやかに変更した。妻夫木聡のCMあたりから徐々にズレはじめ、仲間由紀恵withダウンローズの解散で過去のそれっぽい路線は全て終了してる。auユーザーたる僕の個人的感想でいうと、あんまり楽しくない。

DoCoMoだけはずっと保守展開だった。『ビジネス』とか『ファミリー』など基本路線。母体が大きいのだから仕方ないのだけど。業界一位であり大きい転換期も少ないと他にやりようが無い。auに純増数を抜かれ、ボーダフォンがソフトバンクになったことで規模が大きくなり、MNPなどでキャリア流出が増えた今、ようやく大きな転機が訪れと言っていい。『さて、そろそろ反撃してもいいですか?』というキャッチコピーはDoCoMoでしか使えない言葉ではあるけれど、コケたら結構な人数の首が飛ぶように思える。逃げ場が無い。

もしこのDoCoMo2.0がコケた後、次に『じゃあ、ちょっと本気出してもいいですか?』とかコピー出したらDoCoMoに鞍替えする。惚れる。

2007年05月26日

★明言する迷言。

名言の類は世界中にたくさんある。有名なものに限定しなくても、ふとした友人の一言や親からの説教など、ふとした言葉が心に響きその後の生活にまで影響を及ぼすこともある。その人にとって大事な言葉ならそれは既に名言だ。

ただ世の中に知られているような名言格言に限っては、大抵有名な人が語った言葉であることが多い。その人の人間性や残した結果という背景を踏まえた言葉には、きっとそれだけの重みがあるのだろうし、本人が有名なのだからその言葉も有名になるのはむしろ当たり前なのかもしれない。

ガガーリンは『地球は青かった』と言っていない。『地球は青いベールをまとった花嫁のようだった。しかしどこを見回しても神はいなかった』と言ったそうだ。世界では『どこを見回しても神はいなかった』という言葉の方が有名らしいけど、日本ではこれからも『地球は青かった』という言葉がずっと引き継がれていくはず。当人が意図していたのとは違う解釈。それでも名言には違いないという不思議。

名言はシンプルである事が多い。考える余地を残すことで後世の人間はそれに色々な意味を持たせる。今自分が知っている名言にも、本人が意図しなかった意味が含まれてるものがきっとある。それらしい人が、それらしい背景で、それらしい言葉を吐いた瞬間、意図のあるなしに関わらず生まれる名言。そうなると言葉の内容そのものも、実はあまり関係無いかもしれない。

だからもしラオウが『我が人生に若干の悔いあり!』と言ったら、多分それはそれで名言。

2007年07月22日

★今宵の花は如何なる。

花火が上がると聞いたのは昼時だった。言われなければ忘れていたに違いないが、今日が地元の祭らしい。

おぼろげに毎年金魚すくいしかしていない寂れた地元の神社を思い出す。生まれてこのかた2~3回した行った記憶が無いその小さすぎる祭の思い出といえば、手に入れた金魚が無駄に長生きし、子供まで産んでさらに子供も10センチレベルにまで育った程度だ。これが無かったら存在すら忘れてるような、その程度の祭。

当然離れた地域で打ち上げられる花火かと思っていたら、どうやら地元の花火らしい。あの祭でか?と訝りながら「何発?」と聞くと『三十発やね。』というお答え。まぁそんなもんかと思いつつも「少ないスね。」と素直に答えると、『そりゃ地元の寄付だけで買ったもんやから』とアッサリとした答えが返ってきた。


花火は高いんだし何か他の事に使えばいいんじゃないかと軽く思ったりもしたが、実害がある訳も無いので思考停止。アッサリ記憶の片隅に追いやりつつ、休日らしい休日を存分に謳歌した。夜になり晩御飯をアテに自家製梅酒などを飲んでいても興味がプラスに傾くことはなく、むしろ忘れていたのだが、ふと見ると両親が出かけようとしていた。聞くと花火を見に行くらしい。『来るか?』と言われたが断った。ものの数分で終わるだろう。

家族の居なくなった居間で一人チビチビと飲んでいると、20時ちょうどに一発目。見る気も無いのに見ていたテレビの音が一瞬掻き消えるほどの轟音。本当にすぐ近くで打ち上げているらしい。
少しだけ興味を引かれ窓に近づいて見たがまるで見えない。というより音が大きすぎてどの方向から音が鳴ってるのかも分からなかった。その間も打ち上げられる花火。その度に聞こえてくる歓声。それが何度か続いた後、今度は連続して音が響いてきた。スパートらしい。

遅まきながら外に出ようと決心し、玄関へ向かい、靴を履いたところでその音がやんだ。終わったのだ。三十発しかないのだから疑いようも無い。

もう見れないと分かってはいたが外へ出た。少し歩くと反対側から僕とは逆に帰ろうとする人達とすれ違う。小さな子供が多い。あとはその親と老人達。だが十代後半から二十代が驚くほど居ない。住んでないはずは無いのだけれど。

老人達は満足気だった。子供達も満足そうだったが花火の短さに不服そうだった。浴衣を着ている子も居れば、歩きながらDSを操作している子もいる。ただ親はその様子を見て概ね満足そうだった。見てはいないが花火を打ち上げた人達はそれ以上に満足しただろう。もちろん寄付をした人も。僕と同じように音だけ聞いた人が何を思ったのかは分からない。同じように無駄じゃねぇのと考えて、同じように後悔したのだろうか。

他にも色んな感慨があっただろう。
寄付だけで打ち上げられた、たった三十発の花火。

2007年08月19日

★サライが作られたのも15回目。

24時間テレビを斜めの視点でしか見れない人は、精神衛生上多分可哀想な人であり、無論その可哀想な人に分類される僕は今年も24時間テレビを見てたりはしない。ちなみに今年のテーマは『人生が変わる瞬間』だそうで、じゃあ以前はどうだったんだろうと思ってグーグル先生に教えてもらった。

第1回目のテーマは『寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!』という具体性溢れるテーマだそうだ。2回目以降も現実一直線テーマが続いていたのだけれど、15回目に突如『愛の歌声は地球を救う』という抽象テーマに変更される。偶然かもしれないけどこの年はバブルが崩壊した翌年。この年以降の抽象的なキャッチコピーが多少なりとも世相を考慮して作られたと考えると、何となく全部それっぽく見えたりもする。以下の通り。

(16回目以降のテーマ)
・出会い
・チャレンジ!
・もう一度、チャレンジ
・ONE LOVE ~つなげよう! ひとつの愛~
・勇気を出して
・いま、始めよう
・伝えたい・・・夢のちから!
・がんばる・・・君のために!
・家族って何?
・家族で笑ってますか…?
・あなたを一番愛する人・・・
・あなたの夢はみんなの夢
・生きる
・絆 ~今、私たちにできること
・人生が変わる瞬間(今年のテーマ)

…らしい。日本経済で考えるなら今年の『人生が変わる瞬間』は好景気の兆しがあるといったところか。来年以降も楽しみだ。ちなみに16回目以降のテーマを、バブル崩壊をモロに食らったサラリーマン再生物語に当てはめると嵌まりすぎて噴き出すので注意。『家族って何?』の重さといったらない。

2007年08月26日

★まさに忍法。

世界陸上見てたら各選手にキャッチコピーがついてた。前に女子バレー見たときにも付いてたし、TBSはあくまでこの路線で攻めていくらしい。『最後に笑うイケメン』とか狂気の産物以外の何物でも無いと思うんだけど、本人達は了承してたりするんだろうか。僕なら変なの付けられただけで『ヒー』という一世代昔の悲鳴を上げてしまいそうだ。発狂する。

コピーとしての強いインパクトは最初にあるだろうけど、それ以外では特に選手にとってプラスに働いてないのがポイントだ。というか選手をより深く知ろうというなら、最初にこういう言葉があるのはむしろマイナスになる気がする。綽名系は誰かが偶然or意図時に言い出したものが徐々に浸透していく過程があるからこそのものであり、TBSの場合は最初から広めようという前提で『広めたい言葉』を提供してるから違和感がある。

有名選手や人気選手はそれなりの熟慮があって決められるだろうけど、無名選手や外国人選手、つまり特徴や情報が少ない人間は適当に決められてる可能性が割と高い。結局喜ぶのは放映側だけということで、このあたり商業的な気持ち悪さだけが際立ってなんだかなーと思う。

つまりこうやって話を拾った時点で負けなのか。術中。ニンニン。

2007年09月03日

★考察。

会話の最中『どうして大阪のオバちゃんの中には典型的な"THEオバちゃん"の格好をしてる人が居るのか?』と質問されてしまった。そんなこと僕に言われても困るのだけれど、何となく想像で答えておいた。


【Q.雰囲気の時点でオバちゃんなのは何故?】
A.性別を超えた雰囲気であるからである。基本結婚しており、子供がいたとしてもある程度の年齢に達していると思われる。この場合において『自分に異性へのアピールポイントはもう無い』と『旦那は自分と別れないだろう』という判断が下された場合、生き残るのに必要な装置は既に完成され内外の視線を気にする必要性がグッと少なくなる。性別としてのボーダーラインを超えた時、何もかもを気にしない強靱な魂が生み出されるのだ。

【Q.なぜオバちゃんはオバちゃんパーマをしているのか?】
A.効率的なお洒落である。髪型を維持するためには日々の努力を必要とする。寝癖を直し、ドライヤーをかけ、整髪料を付け整える。これがパーマの場合、軽めの寝癖はもはやパーマの範疇へと切り替わるのだ。また年齢を重ねると髪の太さと濃さがともに衰退するが、ここも全体的なボリュームアップとして活きてくる。面倒臭さと女心を両立する中年のベストセレクト。それがオバちゃんパーマなのである。

【Q.なぜオバちゃんは適当な服を着ているのか?】
A.妥協の産物である。オバちゃんとて買い物は大好きであり、本来お洒落も大好きなのだ。だが服代とはとても分かりやすい"生きるうえで必要の無い出費"である。旦那の薄給と子供の養育費、削れる部分は削らなければならない。また"体型の変化"も忘れてはならないだろう。服とは標準体型を基に作られているものであり、自らの体型を上手く覆ってくれる服装は限られる。結果値段は上か下かの二極化し、服を選ぶという選択肢がどんどん狭まっていく。そして一度" 下"に慣れた諦めから、服に拘るという選択が消えてしまい、遂にオバちゃん服が確立するのだ。蛇足になるが『豹柄』や『動物柄』を好むオバちゃんは、また別カテゴリーに分類される。恐らく雌豹のセクシーさを外的要因に求めた結果では無いだろうか。だがこれはあくまで個人的見解であり、推測の域を出ない。

【Q.なぜ色付のサングラスをしているのか?】
A.最後の防波堤である。前述したとおり、オバちゃんも本来お洒落はしたいもの。だが『諦め』や『出費』や『面倒』という諸々の事情で不可能である。だが、それでも、心の何処かで、引っ掛かってる部分があるのだ。つまりは諦められないプライド。ニートが来年から本気出すと言ってる程度の心残り感。髪は整え直さなければならない。服は着替えなければならない。だがサングラスは?…そう、そこにあるのを装着するだけ。この手頃さ、そして誰かに何か言われてしまった時に万能の力を振るうこのセリフ。『今日は日差しが眩しかったから仕方なく。』他人にも自分にも言い訳を用意できる。つまりこれがサングラスをしている理由なのでは無いだろうか。


なんか適当に書いた割には結構それっぽくなってしまった。僕がオバちゃんで無い以上、基本全部がウソであるのでいい加減やめておこう。いやでも本当に、なんでだろうね。

2007年09月06日

★勝つを意識したセレクト。

仕事の凡ミスが発覚。3日ほどの作業が全て無駄になったことに気付き、朝から本当にこんな顔('A`)になってた。下がりに下がったモチベーションを上げようと考えた結果、何故かものすごく真剣にご飯を食べようという結論を出し、実際にかつて無いほどの真剣さでトンカツ定食に戦いを挑んだら本当に割と元気になれた。鍛え上げられた妄想に不可能なんて無いぜ。

この感覚に同意を貰えるかは微妙なんだけど、何か作業をしている時に『コレ以上はもう駄目かもしれんね…』と思っても、無理やりに作業しようと思えば作業できたりすることがある。その場合自分の中でちょっとした変化があって、行動の全てに理由がある感じになる。無理を承知して行動する場合は健康だったり精神だったりという"目に見えないけど凄く大事なもの"が削られてますよー、みたいな感じ。ゲームで言うならMPか。

今日の場合はこの『行動が記号に置き換わる感覚』を意識するようにして、『食事』を『行動エネルギーの摂取』に置き換えたら想像以上に上手いこと自分を騙せちゃったのだと思う。トンカツ食べるとMP回復。ちょっと便利だ。

自己催眠の一種かもしれない。トンカツ療法。

2007年09月17日

★エコにまつわるエトセトラ。

R100-0917.gif

この『R100』というマークを見たことある人は結構居るはず。【R】は【Recycle=リサイクル】で、つまり古紙バルブの配合率が100%の紙ということだ。このマークが付いた印刷物がもうすぐ消えるそうなんでその話でもしようじゃない。真面目に書いてもいいじゃない。

例えばエコに配慮したCMとか最近多いけど、そういう会社のパンフレットの裏面には大概このマークが付いてる。なんせ環境に配慮してる訳だし。そんなエコ感満載のこの紙が無くなってしまう"綺麗な"理由は、古紙100%配合紙は化石燃料由来のCO2排出量が増加するため、地球温暖化に与える影響が大きくなるからということだ。まぁそんなのは対外的な理由であり誰も信じてない。再生を繰り返すことにより紙が品質低下を起こしてしまうというのもあるけど、実際の理由は古紙の回収率が悪いせいであり、もっといえば中国が古紙を輸入しまくってるのが最大の理由。ちなみに中国は現在世界最大の古紙輸入国。もちろんエコに配慮してる訳じゃない。中国はそんなことしない。ダンボールとかになったりしてるそうだ。

上記の理由で『R100』はもう生産していない。今更『R20』や『R30』にするのは今まで『R100』使ってた企業的にはありえなく、今は残った在庫の取り合いみたいな状況になってるから、あと半年以内にこのマークがついてるものは大体消えると印刷の中の人が言っていた。じゃあその代替品はどうなるのいえば、無い訳じゃないけど、難しい。


『FSC認証紙』というものがある。紙は再生されるたびに劣化するので、それを防ぐためにバージンパルプも常に使用しないといけない。そのバージンパルプを違法伐採されていない適切な森林経営を行っている森林から得れば、これはつまり環境配慮。この環境配慮パルプを保証する制度として森林認証制度が設立されてて、FSC(森林管理協議会)はこれに当たる。

この森林の木材から取られたパルプが元になってる用紙がFSC認証紙。この紙にはFSCマークが印刷される。そしてこのマークを使用するためには、FSC認証の森林で伐採された木材で、さらに加工・製造・販売・印刷に携わるすべての会社もFSC認証を受けていなければ使用できない。ここがポイント。このマークを取得するために掛かる費用は50万ほど。FSCマークを印刷するためだけに、関連する会社が全て、50万程度の負担をしなければならないのだ。このネックのせいで実際FSC認証紙を使用しているのにFSCマークは使用できないという現象がもうすぐ起きるはず。もちろん『R100』の時にはこんな認証要らなかったのは言うまでも無い。


エコをするにもお金がかかる。じゃあ何故エコをするのかと訊かれれば企業のイメージアップのためである。企業のイメージアップを何故するのかと訊かれれば結局お金儲けのためである。エコに余計なもの引っ付ければエゴなのよね。

お後がよろしくないようで。

2007年10月03日

★年表という名のロマン。

1990年の今日は東西ドイツが統合した日だ。その翌年にはソ連崩壊。中学の授業で時代年表を見つつ世界の出来事を追いかける授業というのがあったんだけど、この辺の項目で社会科の先生が妙に興奮しながら喋ってたのを覚えてる。『君たちは実感薄いとは思いますが、コレねー凄いことなんですよー!』と。

先生曰く時代としての変遷はあるものの、日本は島国という特徴からか基本どうなってもあくまで日本というカテゴリーなのだそうだ。そしてそれが当たり前なので、諸外国よりも国が無くなるとか新しくなるという感覚が鈍いらしい。同じ世界のことなのに傍観者みたいな感覚で見てしまうのだと言っていた。

逆に陸続きの外国では侵略や統廃合で国が出来たり潰れたりということが、頻繁では無いものの歴史を振り返れば十分にありえたため、国という根本が無くなることに対する危機感は日本人が思うより強いはずなんだと持論を熱く展開していた。中二相手に。

だからそういう歴史が変わった瞬間。ドイツ統合なら前年にあったベルリンの壁破壊などの象徴的映像がリアルタイムに見れた事は、よく考えると本当に贅沢なことなんだぞとーと言ってた先生は当時独身。話の締めに『歴史を振り返るのが好きなんだ。先生の歴史はちょっと滞ってる。』と言って存分に滑ってた。中二相手に。

顔すらボンヤリとしか思い出せないけど、その話だけはハッキリ覚えてるのがちょっと不思議だ。あれから10年。先生の年表が相変わらず滞ってねぇかなと、ちょっとだけ期待してる自分がいる。

お元気でいらっしゃるだろうか。

2007年10月13日

★最初というキーワードで時事ネタをコロコロつなぐ。

エキスポランドでまた事故があった。小学生が急流すべりで頭を打ったそうだ。また叩かれてお客が減るだろうから、暇ができたら遊びに行こうと思う。でもこういう事故ならエキスポランドに限らず、全国のアミューズメントパークで昔から大なり小なりあったはずだ。それがここまでの騒ぎになるのは、エキスポランドではジェットコースターでの事故という『最初の事例』があったからに他ならない。

『最初』というのは想像以上に大切なものだ。偉業で例を挙げるなら大西洋単独無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグは世界的に有名だけれども、2番目に成功したアメリア・イアハートを知ってる人となるとその数は激減すると思う。女性ではもちろん初の成功であり、諸事情はあったにせよリンドバーグより少ない燃料と時間で飛行を成功させ、その後オートジャイロの最高到達高度記録を樹立し、最後は世界一周旅行中に遭難、未だに機体も見つかっていないというステキちっくな人物であるのに全く有名じゃない。これと同列に考えるのもどうかと思うけど、それだけ最初というのは肝心なものであり、企業が商品を売るときに一番最初にこだわるのも言ってしまえば同じ理由だ。最初に出すことでスタンダード感を確保する優位性。エキスポランドの場合はその逆で悪い方で有名になってしまった。これからも小さい事件が起こるたびにニュースに取り上げられると思う。


『最初』繋がりで最近発売されたW53Sというケータイの話をしよう。今だと結構よく見る『着せ替えケータイ』を最初に出したのは、auにソニーが提供していたC406Sという端末だった。電池パックに不備があったり、折りたたみ部分のヒンジがユルユルになったり、メールボックスの内容が突然全部消えたり、ジョグダイヤルが壊れまくることに目をつぶればとてもいい端末だった。今でも多分家に置いてある。

ジョグダイヤルというのはソニー特有の回転型セレクターで、方向キーセレクターとは違って指で上下にクルクル回して操作する独特なもの。熱狂的信者がいる。僕は信者。会社の取引先担当も信者。ゲームするには不向きな形状だったりアンチも多いので、ジョグ端末は正直売れない。今回は約2年ぶりにジョグが復活。+JOG(プラスジョグ)という十字キーの決定ボタン部分にジョグを組み込んでるもので、正統の系譜感及び懐かしさからとてもとても欲しい。けど半年前にケータイ買い換えたばっかなのでまるで買えない。財布と夢を天秤にかけると不思議と財布の方に傾く絶望感。この端末が発表された夏には発狂した。先週末の販売イベントで実機触った時も発狂した。あとどれだけ待てばいいのですか神様。お金様。

そんな訳でW53Sがエリカ様を使ってバンバン着せ替えをアピールしてるのも、最初という強みを持ってる部分が多少あると思う。大食いなんかでもテレビチャンピオンは『元祖』って頭につけてるし、なんかそういうのが前提にあれば、普通より引っ掛かりの部分が大きくなるのは間違いない。


そういえば赤福餅の偽装表示報道があったためか、店頭から一斉に商品が撤去されてるらしい。今回の場合は不二家や白い恋人という前例があったし、今日の話を統括するなら前ほど大事にはならないかもしれない。(※追記:後々から色々見つかってその後フルボッコされました)しばらく見なくなるのは間違いないだろうけど。

おみやげで貰ったんで昨日ガッツリ食べたよ。やったー。

2007年11月08日

★結論としては人によるのではと。

県民的に取り上げた方が良さそうなニュースがあった。
【奈良の女性、日本一家事に熱心(魚拓)】とりあえず布教しておこう。

なんにせよワーストじゃ無い部分で一番というのは良いことだ。大阪の"食い倒れ"や京都の"着倒れ"と同じ形で、各地には『○○倒れ』という言葉がある。名古屋の"貯め倒れ"だとか神戸の"履き倒れ"とか。グーグル先生が言うには大阪と京都の2つだけは全国的に浸透してるから、多分その2つに合わせる形で各地の特色を各自言ってんじゃね?とのことだった。

奈良は"建て倒れ"や"寝倒れ"と言うらしい。どちらも家に関する事柄だ。こういう言葉が出てくる程度には家に関連が深い場所なんだろう。大阪のベッドタウン化してるから持ち家のトコも多いし、そもそも昔から林業が盛んだったから由緒ありそうな古い家も結構ある。そのあたりも関係してるのかもしれない。が、そういう傾向があるだけで良妻賢母も居ないとこには決して居ない。現実は時として厳しい。

しかし"建て倒れ"と"寝倒れ"という言葉。自分の住みやすい場所をガッツリ確保しつつ寝倒すとか、どう見てもニート。
キングオブインドア気質。家が好きなのは県民性。パーフェクトな言い訳が出来た。

そういう傾向があるだ(以下略)

2007年12月06日

★赤鼻のアイツ。

サンタクロース氏が真の意味でこの世に居るか居ないかはさておき、彼の容姿と存在証明を示す方法は世界中でよく知られている。

つまりクリスマスの夜にトナカイに乗って現れ、法に触れる手段を用いて各家庭に不法侵入、子供の寝顔を舐め回すように堪能した後、靴下の中に物品を提供して悦に入る赤いご老体という概念(若干の偏見を含む)だ。

この概念、トナカイが地球上から絶滅したらどうなるんだろう。
今この瞬間に絶滅している動物も存在する。トナカイは家畜としても飼われてもいるけど、温暖化的な問題を含め確実に個体数は減る一方であり、数十年後や百年後の保証なんてどこにも無い。

トナカイはサンタの浪漫飛行を構成するパーツとして必要不可欠なものであり、唯一現実と接点がある動物でもある。この空想と現実を繋ぐ動物が居なくなった場合、サンタは各家庭を渡り歩く手段を失う。この瞬間、サンタクロースという存在を構成するうえで物凄く大事な根底が消える気がする。どっちにしたって非現実じゃないかと言い切ってはいけない。空想ありきの空想と、現実ありきの空想では意味合いが全く違う。『1パーセントのもしかしたら』が消えた瞬間、サンタクロース氏はきっと夢を与える概念から、ただの物語へと変化する。

などと言いつつ、案外別のものにアッサリ切り替わって普通に存在してそうだ。ハーレーとかベンツに乗ってるサンタとか嫌だけど。というより、そもそも運ぶのすら辞めてんじゃないだろうか。

『ほら○○ちゃん。サンタさんが今年も"amazon"で届けてくれたわよー。』
これが普通になったりして。昔の人からしたら、コレだってきっと想定外なんだし。

2007年12月31日

★今年の感想。

今年もとうとう最後日。面倒ごとは前日までに終わらせ、大晦日は穏やかに過ごして新年を気持ちよく迎えるのが正しい日本の過ごしかたと言えるんじゃ無いだろうか。12月は『師走』と書く。文字通りお師匠さんも走るくらい忙しいという意味だ。我が家もなかなか忙しい。昨日も母上がバイクに轢かれるくらい忙しかった。実況見分は新年の8日です。

もちろん怪我はしたけど無事だった+今後どうするかの方向も見えているので悠長に文章も書けてる訳だけど、本当に予期せぬ場所から予期せぬ出来事は襲ってくるものなんだと再認識させられる。今回は加害者側が100パーセント悪い事故だったので尚更思うところがあるというか。いやもうホント気をつけてね皆様も。

ただ面倒事が起こった後も、年の瀬に嫌な事は済んだし、来年はきっと良い年になるぜと思えるとこが日本の良いところ。レッツポジティブシンキング。それでは皆様また来年。

2008年01月02日

★布石。

正月中に年賀状のお返しを書いてる人は多いだろうけど、松の内(1月7日まで)を越えてしまうと本来なら寒中見舞いになるそうだ。気にせず出してるけど、年賀状も色んなマナーがあるものらしい。

間違いやすいところでは、『新年明けましておめでとう』は『新年』と『明けまして』と同じ意味なので使わないだとか、『去年』は『去る』という字が入ってるから使わないだとか。

そんなの誰も気にしてねーべと思う人も多そうだけど、そんな人でも年賀状の挨拶に心底使われまくってる『A HAPPY NEW YEAR!』すら使い方は間違っていて、冠詞の『A』は必要無いとか言われたら若干ピクッとすんだろ?みたいな。知ったからには来年からそっと『A』の表示は消してんだろ?的な。どうやら『A Happy Birthday!』にはならないのと同じ要領で、普通に『HAPPY NEW YEAR!』でいいそうです。

それと同じ要領で、サイドバーのプロフィールから年齢表示とかがそっと消えてます。
繋がりとしては、いたたまれなさです。

2008年02月12日

★その主張は日々の更新にも似た。

当たり前だけど大きい駅には人が多い。人が多いとアピール効果も高い。なので駅には色々なアピールが溢れている。居酒屋やカラオケの呼び込み、広告入りのティッシュ配り、献血や募金のお願い。今日も通り過ぎる人達に向かって、精一杯の自己主張を繰り返している。

今日通りかかった駅では、夢ある若者達が路上ライブをしていた。女性ヴォーカルのよく通る声が夕方の駅に響いている。周りの雑音に負けない大きい声。観客もいるみたいだ。頑張ってるなーとか思いつつ通り過ぎようとしたら、その音に紛れ込む異音。音域のせいかそちらもハッキリと聞こえる。この風鈴のような涼やかな音色、托鉢をしてるお坊さんか。

自分の位置から右側にバンド、中央に人通りと各種呼び込み、左側に托鉢僧が立っているのが見えた。一生懸命に唄っているバンドに負けないようにか、お坊さんも一生懸命おりん(鈴)を鳴らしてるように見える。というか鳴らしている。妙に音が大きい。鳴らしてるタイミングも心持ち短い。こっちも音を聞かせないとダメだもんな。いいのか?とは思うけど。すごいアピール合戦だ。

耳をすませばバンドと鈴の音が交差するセッション。合ってるような合ってないようなタイミングで、やはり競ってるように聞こえる。どっちが勝ちという訳じゃないけれど、とりあえずお坊さんの前には人がいなかった。

音を聞きつつ人通りに混じり、丁度欲しかったので配ってたティッシュを貰った。中の広告は読む前にゴミ箱へ捨てた。どんな業種だったかすら覚えてない。ヴォーカルの歌声ももう思い出せない。

2008年02月28日

★大往生。

両親の知り合いの、とても偉い人がお亡くなりになったそうで、葬儀に出席してきたそうだ。生前の功績からか弔問客も多くてなかなか終わらず、寒風吹き荒ぶ中、全員ずっと立ちっぱなしだったらしい。

よく知らない人だったので、そんな人も居たんですねーとか思いつつ話を聞いてたら、どうやら当時通ってた保育園を創立した人で、家族全員がスゲーと尊敬している考古学の先生(資料館とか顔パスで通るレベル)の、そのまた先生であり、ついでに近隣一帯では一番長寿の生き字引かつ、クリスチャンだったらしい。単語並べただけでも凄いな。

今の若い人が天寿を全うする頃には葬儀も多様化していそうだ。人によっては相当長い間サイトを運営している人も出てきそうだし、葬儀の最中ずっとサイトの中身をスライド上映する人とか出てこないものだろうか。最後にする盛大な身内バレ。今更恥ずかしがる必要も無い。不謹慎とかじゃなくて、こういう時だからこそしてもいいじゃないとかちょっと思う。人生の最期に笑いを。素敵な発想じゃないか。

僕?絶対しない。

2008年03月05日

★御社と弊社でウィンウィン(笑)な関係を。

凸版印刷の電子チラシサービスとYahoo! JAPANが組んで、「Yahoo!チラシ情報」なるサービスをするそうだ。登録してる会社の折込チラシが、Webで見られるようになるものらしい。まだ始まったばかりのサービスだし、参加してる企業も少ないので普及するかどうかは判断しにくい。セカンド的なアプローチを狙ったものらしいけど、チラシは『手軽に』人の目に止まるのが最大のウリだと思うので、消費者が情報としてチラシをわざわざ閲覧するかどうかには、割と興味があるというか。

多少なりとも反響があるのならば、結構な数の企業は参加するはず。折り込みチラシの場合、大半のコストは純粋に紙代が占める。数十万部単位になると結構ビックリする値段になるのだ。その点この閲覧サービスは、ページビューによって企業が支払う値段が変動するらしいので、見るかどうか分からない紙媒体よりも、費用対効果という意味での意義がある。実際に儲かるかどうかはさておき、これをやろうと考えた人は偉い。企業を説得するとき、消費者という的に向かって「数打ちゃ当たる」に「狙い打ち」をプラスしませんかと言ってるのだ。しかもリスクと無駄が少ない。仕組みとしてよく出来ている。

今後とも広告媒体としてWebはさらに発展するけど、紙媒体も完全に無くなったりはしない。Webと紙を上手く使うことで、お互いのメリットを上手く引き出していく。これは結構ステキな好例だと思う。

ただ凸版側の「Shufoo!(シュフー)」という名前はいいんだろうか。意味を理解するのに5分かかったんだけど。

2008年03月09日

★誠意。

昨年末に母上が原付に轢かれたりしたので、今年に入ってから必要となる書類のテンプレートを探したりだとか、その書類を修正したりだとか、とにかく細々とした雑用をいくつかしてたんだけど、僕が手伝えそうな部分は昨日の時点で概ね終わった。いくつか分かった事といえば、親は自分が思っていたより、遥かにしっかりしていたという事だろうか。

詳細は省くけど、簡単な概要を説明するなら『自賠責保険の切れた友達の原付を借りて、人身事故を起こした未成年の少年(任意保険も無し)』という図式だ。他にも背景が色々あって、無料相談の弁護士先生に『また面倒な人が相手ですねぇ。』と言われる程度にはややこしかった。

事故が起こった当初は、色々やるべきことは多いだろうと考えていた。でも実際に手伝った箇所は意外なほど少ない。親がややこしいと言ってた部分をまとめたり、本やネットで調べたり、ちょっとした書類を作ったり、その程度。医療費や諸経費、慰謝料の算出まで自賠責法に合わせてちゃんと計算していた時はちょっと驚いた。ちゃんと大人なんだな。

加害者側は、過失割合100%の事故だったのにも関わらず、当初知らないフリして逃げようとしていた。なので『面倒な事をしたら、その分面倒な事になる。』と思わせる対応はした。それでも書面で交わした最終的な落としどころは、被害を受けた側からみれば非常に『甘い』部類に入っている。こういう場所で書くべきでない上記の『背景』や、未成年なのを考慮して、家の中の結論として、慰謝料云々は割とどうでもよく(よくないけど)、ただ事故を起こしてしまった少年には、『物の道理』や『免許を取る意味』を分からせなければいけないのではというスタンスだった。

母上のケガが軽かったのはあくまで結果論だし、もしこれより酷い事故だったり、自分が被害者だったなら、きっと容赦していない。そういう意味で両親はとても甘かったと思う。両親はとても偉かったと思う。それでも加害者側から感じとることが出来た感情は、僕には『反省』などではなく、ただひたすら『面倒』にしか見えなかった。

勝手かもしれないけど、これから先も反省はしないだろう。それでも思う。少年は気づくのだろうかと。失ったものと、得るべきだったものを。

2008年03月30日

★心に残る数十円。

大量に駄菓子を購入する機会があった。大きいビニール袋いっぱいに2つほど。小学生が吟味を重ねるその横で、選り好みをしないでドカドカとカゴに放り込む優越。ザ・大人買い。それでも値段は数千円程度に収まってしまうのが駄菓子の凄いところだ。駄菓子に懐かしさを感じない大人は少ないと思う。小さい頃にあったものが、そのまま大人になっても存在している素晴らしさ。たかが駄菓子、されど駄菓子だ。記憶に刻まれた思い出補正を舐めてはいけない。

こんなことがあった。僕の地元では年に何回か地域でのお祭や催しがあるんだけど、その際には子供達を集めるために駄菓子のセットを用意する。透明の袋に包まれていて、駄菓子の総額は2~300円程度。それが何百セットと用意される。催しが終わったあとで、子供達に配って『おつかれさま』と『またきてね』の慣習を植えつけるのだ。

安いとはいえ、駄菓子も数が揃えば費用がかさむ。その催しを企画する自警団の団長が、数年前に切り替わったのを契機に、一度駄菓子のランクを下げたことがあった。マイナーなメーカーの比率が増えたため、少し残念に感じた記憶がある。するとその催しを終えた次のイベントでは、目に見えて参加する子供の数が激減した。大人サイドからの要望もあって、次の年から駄菓子セットはまた元に戻ったんだけど、あの時は駄菓子スゲーと思った。子供だからこそ、駄菓子に対する気持ちは強いのかもしれない。

最近では生計を立てるのが難しいのか、駄菓子屋も随分減った。どうか負けずに頑張って欲しい。そんなことを思い出して、若干ノスタルジックな気持ちになりながら、カゴの中に『おっぱいチョコ』を放り込んだ。つかみ取り。

2008年06月05日

★ちょうど一年前にこの道を通った夜。

ついに慢性的な持病持ちに進化してしまった。じんましんデビューですよ。身体を引っ掻いたりといった『外的な刺激』に反応し、皮膚に赤みを帯びた膨らみができてしまうもので、『機械的じんましん』というらしい。原因は不明で、治るかどうかも不明。適当すぎて反応に困る。頑張るんだ現代医学。

実は前から自覚症状はあったんだけど、その時はあんまり痒くなかったから一度病院へ行ったきり放置していた。確か当時診察してくれた医者が心底ヤル気がなく、もの凄くダルそうに「コレって治るものでも無いですしー、本来急になったりするものじゃないから、生まれてから今まで気付かなかったんじゃないですかぁ?」と、愉快な戯言をおっしゃっていたのを覚えている。そんな訳ないので「じゃあもういいですぅー。」と可愛く言って帰ってきた。一年前の話だ。

最近妙に痒くなってきたので、今回薬を貰ってきた次第。花粉症で貰った薬と全く同じ『アレロック』という薬だった。両方ともアレルギー反応を抑えるものだから、対症療法が根本的に一緒らしい。確かに花粉症の薬飲むの辞めてから激烈に痒くなった記憶がある。下手したら一生のお付き合いだ。色々と試していこう。

そういえば母上もアレルギー体質だ。慢性的に鼻炎も持ってるし、手が痒いとか言ってたこともあった。体質は遺伝するらしいから、先達に報告がてら話を訊いておくのもいいかもしれないな。電話してみようか。

「…という訳で、どうやら僕は機械的なじんましんっぽいんですよ。」
「あぁ、それお父さんもやで。」

『今まで気付かなかった説』を、今完全に否定できない自分がいる。

2008年06月17日

★115歳には見えない貴方。

英題で『Sleeping Beauty』と呼ばれるとても有名な童話がある。今さら説明するまでもなく『眠れる森の美女』なんだけど、何度見てもこの邦題はとても秀逸。他にも『眠り姫』だとか『茨姫』とも呼ばれるけど、語呂の良さやロマンチックさ、表現できているニュアンスの加減、どれをとっても『眠れる森の美女』には敵わない。

大袈裟かもしれないけど、この邦題が無かったら日本での認知度は今よりも低かったと僕は思うし、もし『寝たきり姫』なんていうタイトルだったなら、個人的には見たいけど確実に売れてはいないだろう。英語のレベルが『This is Pen』で止まっている僕なので、外国の言葉を日本語に組み替える翻訳家という職業には、とても強い憧れを感じる。

特に映画や絵本などの"短くニュアンスを伝える必要がある翻訳"は、素人目ですら難しい作業なのが容易に想像できる。特に映画は昔より翻訳が難しくなってるそうだ。ゆとり教育の弊害でもある。読むのが追いつかないので、文字数に以前よりも制限が加えられたり、理解ができないので難しい言葉や歴史上の出来事も使い辛いとか。相手に対してより深く伝えることができる最適な日本語が使えない。なかなか困った問題だ。

そのせいで本来の映画の面白さが半減してる部分もあるだろうけど、それが間違ってるかどうかすら分からず、作者の意図している部分を理解しきれない状態で楽しんでるのかと思うと、なんとなく悲しい。映画は字幕で鑑賞派だけれど、ニュアンスの違いで結末後に抱く感慨も違う事を考えれば、無理して英語の字幕を見なくても、日本語吹き替えでいいのかなーという気もする。でもそうするとまた活字離れが増えるのよね。悪循環。

とりあえずみんな本を読もうじゃないか。まずは日本語をしっかり覚えて語弊を増やすのが先決。最近では日本語のニュアンスすら伝えきれない人が多いから困る。昨日初めて合った人もそうだった。年齢を訊かれたので「25歳です。」と正直に答えたら「25歳っ!そんなに若いんですかっ!?」とか言われた。

後で必死にフォローされたけど、どうやら僕が実年齢より随分落ち着いて見える事を伝えたかったらしい。その辺のニュアンス程度、ちゃんと伝えてもらわないと困るよ君。

老けてなんかない。

2008年06月23日

★肝心の内容はよく知りません。

そろそろ飽きられた感が否めない『平安遷都1300年祭』のキャラクター問題。その後の流れも痛々しいので、正直あまり触れるべきでは無いと思うんだけど、ちょっとした思い出も蘇ってきたので、備忘録代わりに書いておこう。ちょっと厳し目に。

今までを整理すると、平城遷都1300年記念事業協会事務局が発表したキャラクター『せんとくん』が、色んな意味で革新的すぎたので、それに異を唱えた有志が新しいキャラクターを次々に発表という流れになっている。まずは『せんとくん』が可愛くないと批判した、クリエイターズ会議・大和が独自に公募した『まんとくん』が登場、その後「仏様に角が生えているようなキャラクターは受け入れられない」と批判した南都二六会が、ついこのあいだ『なーむくん』を発表した。ココの流れが分かりやすい。それにしてもasahi.comが妙に細かくこの問題を追ってる気がする。多分気のせいじゃない。

これは個人的な結論だけど、この問題は決着などしない。そもそも『せんとくん』側が折れる気ゼロなんだからどうしようも無い。現状のままなら後世に残るのは間違いなく『せんとくん』だけになる。『まんとくん』はそのキャラに反対したキャラクターという意味と、可愛さというベクトルを明確に打ち出してる点で、そういう話もあったよねレベルで残るかもしれない。『なーむくん』は後世どころか多分一年も持たない。あのキャラに期待してる人間は、製作側以外に存在しない。

『せんとくん』は宣伝効果の面で大成功をもたらしてる。でもそれは本来マスコットキャラクターの仕事では無い。今後事務局の広報が『せんとくん』での宣伝効果をアピールする場面があったなら、間違いなくマスコットを勘違いしてると思っていい。『ひこにゃん』はそれほど特殊な例なのだ。マスコット最大の仕事とは『取っ付きやすさ(親しみやすさ)』と『シンボル(内容な簡潔な説明)』と『思い出として残せる』あたりと思う。その全ての面で『せんとくん』は恐ろしいレベル。上か下かは書くまでもない。特に『思い出に残せる』というのが辛い。僕は1988年にあった『奈良シルクロード博』のマスコットキャラクター『ナナちゃん』『ララちゃん』は今でも覚えてる。当時5歳だ。何を見たかは全く覚えてないのに、キャラクターだけは覚えてる。地元民だからかもしれないけど、そういうものだと思う。だからこそ『せんとくん』が後世に残る事態に、ひたすら虚しさを覚える。

既に「どうでもいい」と思ってる層が増えてるはずなので、これ以上キャラクターを増やしても効果はない。個人的には手を取り合うより、プロレス的な手法で中傷合戦でもすればいい。『せんとくん』を変更する気がないのなら、せめてそうでもしないと今後世間の注目を浴びるのは難しい。疑惑の広告塔としてなら、まだ芽はありそうな雰囲気。

だって1300年祭は奈良の一大事業。表側には出ないだけで、利権やしがらみが無い訳がない。普通に考えれば『せんとくん』を決定したのは広報だろうけど、決定する際に目に見えない不思議パワーが加わった可能性は否定できない。今後その辺りが遷都祭の開催までに暴露されれば面白いのに。祭そのものは最悪になること請け合いだけど、毒を喰らわば皿までという感じで。まぁ利権が有るにせよ無いにせよ関係ない。今日の話を統括して、これだけは断言してもいい。

『せんとくんを推したヤツが、どこまでも無能。』

犯人はお前です。

2008年08月05日

★メディーバ。

au使ってる人なら分かると思うんだけど、『EZホットインフォ』というauのメルマガがあるんですよ。スポンサーからのおトク情報を配信してくれる、ファンタスティックなステキ☆メルマガ。広告収入ホイホイと書いた方が分かりやすいかもしれない。06年の2月以降にEZ WINコースに加入すると、とりあえず自動登録されてしまう愉快な仕様で絶賛配信中。普通に解除はできるよ。

たまにメールが届くけど、頻度は大したことない。僕の場合だと2~3週間に1回程度。コレは広告主の絶対数に限りがあるのと、性別や年齢による振り分けがあるからだと思う。ググって分かる範囲だと、今年の4月現在でメルマガ登録者数が約1, 364万人。大まかに『男女別』と『10歳刻みの年齢分け』と『都道府県別』でメールの振り分けが可能。もっと細かい振り分けも出来るはず。最小配信単位が5万通からで、後は1,000通単位で増減が出来るとか。気になるお値段は1通@10円~。でもこれは表向きに公開されてるものだし、実際は違うかもしれない。基本的にこの値段を打ち出しておきつつ、営業さんが『今なら1通あたり7円で大丈夫ですよ。』で攻めるとか、よくある話。

諸経費はさておき(基本はフォーマットへの流し込みだろうし)、なんにせよ1回配信すれば最小でも数十万単位の儲け。ケータイは顧客数が多いから、この薄利多売アイデアが成功してるなら、ウハウハのウマウマ状態…なんだけど、多分そうはなってないだろうなーと。同じ広告が2回以上届いたのを見たことがない。費用対効果が云々以前に、受け取る側の大半がスパム扱いして、流し読みすらしてなさそうだ。でも利益率が馬鹿みたいに高いうえに、被る損害も少ないので、ユーザーに不人気だろうが決してサービスを終了したりはしないだろう。KDDIのお小遣い稼ぎの一環という表現が近いかもしれない。細かく稼ぐと誰かが得をするんだろう。

今日届いたメールは、なんと『自衛隊員募集』だった。不覚にも予想を裏切られてしまったので、試しに自衛隊募集のホームページ見てみたら、175Rの曲を使ったコマーシャルが流れてた。この防衛省のフットワークは一体?中の人に何が?

2008年08月07日

★日本の住宅事情でオマエときたら。

家の冷蔵庫が不意に現役引退を表明してきたので、次世代を担うホープを発掘するため、休みを利用して色々と探し回ってきた。世の中に提案したいんだけど、天下のトヨタ様が提唱した『まだ使えるけどエコ替え。』に便乗しようと考えちゃってる家電メーカーは、エコ替えの精神にのっとり、是非ともリサイクル料金を肩代わりすべき。それだと筋が通ってるように見えなくもないというか、4850円て。

結構色んな店を見て回ったけど、冷蔵庫というのはどうして全部が全部、あんなにも近未来チックなデザインなんだろう。それが悪いとは言わないけれど、少なくとも白物家電と呼ばれるものを考えたとき、冷蔵庫という存在はもう少し見た目を考えるべき商品に思える。部屋の間取りや雰囲気、使用頻度や冷蔵庫そのもののサイズ。置き場所が限定されるうえにサイズそのものが大きいから、場合によっては激烈に浮いてしまう可能性がもっそい高いのに、割とその辺が置いてきぼりな印象を受ける。

もちろんメーカー側の言い分もあるはず。日本市場を考えるとデザインよりも性能や静音・小型化が好まれるし、製品のコストを抑えていくと、ああいう形に集約されてしまうのかもしれない。大きいサイズのものは可愛くデザインしにくいっつー側面もあるし。でも結局のところは『売れないから』と『ユーザーが限られてくるから』が一番大きい理由なんだろう。極めて個人的な超偏見だけれど、昔のアメリカさん製品にありがちだった『見た目だけで性能が伴ってねぇ』というのも、それを増長させてる気がする。

いくつか店を巡った結果、事前予想を全く裏切らず、性能と見た目がハイレベルだと値段までもがハイレベルということが再確認できた。買えたもんじゃ無かったので、少し前にたまたま見つけてた無印の冷蔵庫を買ってきた。僕の生活で考えるなら、値段も見た目もコレで充分。人間相応の幸せがあるもんですよ。

数日後にようやく届いた冷蔵庫を見ながら、そんな事を考えてた。
設置箇所はテレビの横。サイズの都合で置く場所がない。

2008年08月31日

★クロスオーバーが簡単なのは羨ましい部分。

映画『ダークナイト』を見てきたよ。前評判の時点で"イイ"とは聞いてたけど、想像以上に凄かった。みんなも劇場で見ればいいじゃない。ところでここ数年、アメコミが原作の実写映画というのがやたら増えている。コンピュータ・グラフィックスの発達によって、漫画でしか出来なかった表現が可能になったからかもしれない。

ただ映画が流行ったからといって、日本のアメコミ人気そのものが高まったという話はまるで聞かない。日本にもアメコミファンは数多くいるけれど、未だにマニアックな分野という認識はあるように思える。日本には既に『日本的な』漫画文化が既に根付いてて、ありとあらゆる邪気眼設定、狂気じみたデフォルメのキャラクター、必要以上のエ□要素などなど、紙に書かれたモノに対する脳内変換度と変態度において、間違いなく日本は世界のハイエンド。そんな国で特徴のある濃い絵柄やストーリー性、そもそもの製作形態や版権の在り方まで違うアメコミは、やっぱり日本では異物扱い。価値観の違いとでも言うんだろうか。それ故に熱狂的なファンも多いのだけど。

僕は映画も漫画も小説も好きなので、映画に原作があれば読むことも多い。でもアメコミに関しては、原作を読もうかなーと考えた事がほぼ無い。今回の『ダークナイト』も相当に面白かったのだけれど、やっぱりそこまでの気持ちには至らない。何故か読む気になれない漫画。それがアメコミという存在。

その理由は様々あるかと思うけど、僕が一番理解に苦しむのは『タイツ&パンツ』。もしあのピチピチ感と色彩センスの基準が『カッコイイ』だったなら、アメリカ圏に僕の居場所は恐らく無い。そして無くていい。

2008年09月13日

★269。

コンビニに置いてある女性向けステキ雑誌の数々。最近は付録が無い時の方が少ないけれど、アレはみんな欲しいと思って買ってるんだろうか。 中には良品もあると思うけれど、大半は必要無いような気もする。結果だけ見ればそりゃ売れるから付いてるに決まってるけど、なんというかオンナゴコロは本当にわからない。

付録の数がやたらと増えてるのは、去年の春に公正取引委員会が景品基準を緩和したのが大きい。1000円未満の雑誌で限度額が100円→200円にアップした。大した額では無いけど、値段が倍になればそりゃ商品幅も増えるわなと。大半は各ブランドと共同開発したオリジナル品。海外に発注して製造コストをもっそい抑えてる。ブランドロゴが付いた100円均一商品と言い換えた方がいいかもしれない。あーそうか。なるほど。そう考えたらアリだ。100円均一で買おうと思ってたポーチに、好きなブランドのデザイン&ロゴがプラスされるお得感か。それなら『当たり外れがある』を含めて何となく納得できる。

こういう『実用品が付録になっている』は、男からは遠い世界だ。確かに付録が付いてる女性誌を見るとちょっとだけ羨ましいと思うけど、その羨ましさは「あ、なんか付いてるな。いいな。」の範囲。実際に実用品が付録に付いてたら不評なはず。「その分安くしろ」とか「むしろ100円をオマケに付けろよ。」とか言われる。個人的にアリかもと思えるのは、極めて一方面に特化した嗜好品。例えばちょっとしたフィギュアとか、子供向け雑誌に付いてくるような紙の付録とか。男は無意味に意味を求める生き物なのだよ。あとそれとは逆に毎号各パーツを組み合わせて、高級感溢れる一つの商品にするとかもステキかもしれないけど、世間的にはそれをデアゴスティーニと呼ぶのかもしれない。

出版業界そのものが凄まじい勢いで死滅していってる現状で、付録で購買層を確保とか悲しい話だ。それでも売りたいから投資する。命の削り合いの結果残るのはどこだろうか。まぁ基礎体力のある大手なんですけどね。雑誌の中身が付録扱い。

2008年09月30日

★呼び掛け症候群。

日本は諸外国と違い、腹囲をメタボリックシンドロームの判断基準の一つとして定義している。未だに正確な定義がキッチリ定めきれてない雰囲気なんで、これはそのうち改訂されるかもしれないけど、既に『デブ=メタボ』の図式は浸透してしまった感があるため、この概念は今後も覆らないかもしれない。メタボ基準は内臓脂肪に関するものなので、本来体重は(太ってる=内臓脂肪も多いという図式はあるものの)関係無い。それでもここ数年で名前だけが急速に知られていき、今では太った人の代名詞のように使われてる。割と珍しいケースじゃないだろうか。

この言葉がここまで浸透した理由を考えてみた。想像だけど、太ってる人を表す言葉として『新しくて柔らかい表現』だからだと思う。太ってる人を表現する言葉は基本的に良い意味で使われない。デブという『最も一般的に使われる』言葉だってそう。言われた人は傷ついてしまうだろうし、言う方にだって躊躇いがある。かといって『肥満体』という医学ちっくな言葉も使いにくい。遠回しのようで実は直接的すぎるその表現。字面から漂う『太った感』はデブを押しのける勢い。

そこに『メタボ』が登場した。この新しい言葉にはデブをオブラートに包んだかのようなワンクッションが存在してる。「○○さん、デブじゃないですか?」とは言えないけど「○○さん、メタボじゃないですか?」なら言える。言われた方も「そうなんだよなー。」と会話の糸口にすらなりえる。これはメタボという言葉そのものに、未だ『相手を傷つける意味合いが込められてない』事を意味してる。日本ではメタボという言葉だけが先行して広まったため、内臓脂肪型肥満に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した『本来の意味での概念』が浸透するより前に、『太ってる人に対する新しい表現としての概念』が認知されたんじゃないだろうか。

暗喩表現としてのメタボ。この国は優しさに満ちている。

2008年10月09日

★水溶性中性多糖の生活。

マンナンライフの蒟蒻畑が一時発売停止。冷蔵庫に常備レベルで好きなので軽く発狂。復活署名運動とかやるんだろうか。もしマンナン社員がリストラされてしまって署名運動とか開始するようなら、本気で氏名住所書いてくる勢い。ちなみに白桃味が好物。ぶどう味も捨てがたいけど、あのほのかな甘さがたまらんのです。

今朝マンゴー味を食べきってしまったのもあって、とにかく今ある分でも確保しようと、昼休憩中にドラッグストアに寄ってみたら、蒟蒻畑ライトしか置いてなくて心底絶望。どうも普通の蒟蒻畑はスーパー専用商品で、蒟蒻畑ライトはドラッグストア専用商品らしい。今頃知った豆知識。そんなん知らんがな。近くにスーパーなど無かったので日中に買うのは諦めたけど、何度仕事サボって探しに行こうかと思った事か。仕事より僕自身のマンナンライフのが大事に決まってる。

ホームページにアップされた発売停止に関する言葉には、"行政の要望に対し、時間的に早急な対応が困難であると同時に、流通各社様への大きな混乱とご迷惑をおかけする恐れがあると判断し、製造を一時中止することと致しました。"とある。希望的観測を含めた捉え方をするなら、今の混乱が収まったあたりで復活もありえますよー…とも受け取れなくもない。というかそういう風に受け取りたい。こんな措置をすることで『誰の』気が済むのかは分からないけど、少なくとも蒟蒻畑が製造中止しなければならない事態は異常。めんどくさい人達が世の中にはいるものらしい。

とりあえず3袋ほど確保した。買えるようなら明日も買う。市場から消えうせる前に非常識でないレベルで備蓄しておこう。3袋じゃ僕の飢餓感は恐らく満たされない。このままでは耐えられない。蒟蒻ゼリーが無くて死ぬ。

2008年10月21日

★アタタタタ。

大阪ミナミにある『道頓堀極楽商店街』が来年閉鎖するそうだ。知らない人のために簡単に場所を説明するなら、道頓堀にある一風変わったフードコートで事足りるんだけれども、まずは概要を説明するためホームページの紹介文を引用。

道頓堀極樂商店街とは、2004年7月に浪花座の跡地に建てられた、サミー戎プラザ5~7階にあるフードテーマパークです。たこ焼きやお好み焼きといった大阪名物が味わえる”食”、館内で連日上演されるミュージカルや伝統芸能などの”エンターテイメント”、そして住人であるスタッフが気軽にお客様に大阪弁で話しかけたり、ゲームなどで一緒に盛り上がったりする”人情”。これらの大阪の魅力がてんこ盛りとなった国内最大級のフードテーマパーク、それが道頓堀極樂商店街なのです。

以上引用終わり。道頓堀と名前が付いてるように、かつて食い倒れ人形があった場所のすぐ近くで、外観も恵比寿さんをモチーフにした『コテコテ感』溢れる場所。無くなると街並みが寂しくなるから、周辺の店は悲しみそうだ。

何気に入場料をとったりするので、食事をとりたいだけの地元の人はあまり行かない。行った人も大概『高い』という感想を抱くから、なるべくしてなった結果かもしれない。それにしたってオープンしてからまだ4年だ。サミー戎プラザの1~4階にあるゲームセンターやスポーツクラブ、カラオケ店も今年に入って閉店していたというし、随分と赤字だったんだろうなーと。

最初から分が悪い賭けだったというのは、結構な人が理解してたはず。場所は大阪の一等地、周辺に食事処も多い中での『フードテーマパーク』というコンセプト。飲食や買い物はすべて通行札という制約などなど。それはサミーの社員だってきっと分かってたと思う。それでも強気に攻める事が出来たのは、ひとえに『救世主さま』が居たからだ。

サミーはパチスロ・パチンコメーカー。数年前のただでさえ儲かっていた時期に、『パチスロ北斗の拳』がホールに導入された。関係者からの又聞きになるけど、このパチスロ史上最大のヒット作のおかげで、そりゃもう恐ろしく儲かったらしい。同時期にはセガを買収し、翌年には『セガサミーホールディングス』を設立していた。つまりこの時期のサミーは右肩上がりのイケイケ状態。分の悪い賭けではあったけど、長い月日をかければ回収できる目処もあったんだろうし、サミーのビルをランドマークとして扱うことの宣伝効果も期待できた。なにより別部門で赤字を補填できるだけの収益を確保できていた。それが今の業績悪化に伴って、色々と目論見が駄目になってしまったというのが総論で良さそう。世紀末救世主伝説を地で行こうとした栄光と没落っぷりは嫌いじゃないけど、サミー印のケンシロウは志半ばで折れてしまった。このまま力尽きてしまうのか!?

愛…じゃなくて、金を取り戻せ!!

2008年10月24日

★tear off post card

広告が付いてる代わりにタダで送れる年賀状『tipoca(ティポカ)』。流行るかどうかはさておき、圧着ハガキの中面に広告があるというのも含めて、スゲー面白い発想だと思う。新年早々なんだからそれくらい出せよという人も居るだろうけど、こういう商品が選択肢としてある事が素晴らしい。

メインターゲットを20代後半~30代に設定してるぽいけど、一番使うのは大学生とかじゃないだろうか。流石に一定以上の年代&仕事先なんかには使うのが難しいはず。学生ならば冗談として通じる側面も大きいだろうし、減り続けてる年賀状人口へのアプローチにも、『タダ』という呪文は即効性と有効性を期待できそうな気がする。20代とかなら男→男友達に出す分には問題なさそう。男→女はあんまり無い。女→男のラインはあるかもれいないけど、そこは愛想良くしとこうぜ?みたいな。女(10代)→男のラインは何もかもが一回りしてOKな気がする。何がOKなのかは僕にも分からない。

ただ非常に個人的な感想を、極めて率直に言わせて頂くなら、このサービスが国内に長く根付く可能性はそう高くないと思ってる。ニーズに比べての市場規模が大きすぎるとでも言うんだろうか。曖昧な感覚で申し訳ないんだけれど、このサービスを何度か利用していくうちに、ある種の『いたたまれなさ』が生まれるんじゃないかなーと。やっぱり正月には気分良く過ごしたいものだし、新年最初の挨拶という側面も持ってる。「貰った人が嫌な感情を持つかもしれない」という感覚と、飽きっぽい&周りと合わせたがる国民性で考えたときに、1~2回以上の利用がちょっと難しくなりそう。もちろん否定してる訳じゃない。何度も言うけどこのサービスのアプローチは本当に素晴らしい。ただ今回注目されたことによる『目新しさ』と『ネタとしての扱い』が無くなったときに、サービスを継続できるだろうかが今後注目したい点。頑張れティポカ。

個人的にはこの商品が認知されてきたあたりで、ティポカの『フリ』した年賀状を作ったら凄く面白いと思う。宛名面(表面)をティポカ似せておいて、裏面は普通の年賀状扱い。受け取った人間が広告部分を開いてみると、実はそこにも年賀メッセージという。面白いだけで実用性が皆無というのが僕好み。でも個人で圧着ハガキの小ロット印刷を注文したら、100枚でも3万くらいするっぽいので多分しない。多分。

セレブな人は戯れにどうぞ。タダのフリした高単価ハガキ。

2009年01月09日

★吹く。

今日から各地の戎神社で『十日えびす』が行われるそうだ。どうやら関西中心の神事だそうで、関東とかでは馴染みが無いんだとか。でもニュースでやってる『今年の福男が決定しました』くらいなら見たことある人は居るんじゃないだろうか。神社の門が開いた同時にダッシュで走って一等賞が福男というアレ。あの場所が西宮神社で、日本にあるえびす神社の総本社になっている。商売繁盛の神様だ。

大変興味深いのは大阪にある『今宮戎』と比べたとき。兵庫にある西宮神社が総本社だけれど、大阪の今宮戎の方が活気がありつつ人手も多い。なんと3日間で100万人を越える参拝者数を誇っている。近場の人は社員全員で参拝なんて事もあるそうな。なのでコッチを総本社と思ってる人も多いというか、僕も実際そう思ってた。むしろ西宮神社を知らなかった。無知とは恐ろしい。

今宮戎では裏にまわってお願いをするときに、ドラを叩いて『えべっさん』を呼ばねばならない。耳が悪いからなんだそうだけれど、本社の西宮神社ではそういう事はしていない。そして一番の違いといえば、西宮神社が『福男』を決めているように、今宮戎が『福娘』を決めている点。選考会で選ばれた美人さん達を鑑賞しに色んな人がやってくる。ちなみに福娘だけじゃなく、今宮戎には選考会決勝まで残った『えびす娘』なんてのも存在してて、福娘と同じように本殿で頑張っている。

読んでて分かるように、比べてみると大阪の方が若干泥臭いというか、あざといというか、ネチっこいというか、つまりはなんだかそんな感じ。ところで関西で福娘という称号は、就職や結婚に有利に働くと言われているうえ、芸能界への道もあったりするので、一種のステータス的な意味合いが少しばかり含まれている。

そんな福娘の最終選考者の中には「あれ、なんでこの子が?」みたいな人が混じってる事があるそうで、大体そういうのは、オヤノナナカヒカリーという魔法だったりするとかなんとか。もちろん美醜の感覚など人それぞれであり、顔だけでは無い内面の美しさも評価対象であると愚考する次第なので、僕はそんなつまらない噂を鵜呑みにしたりしない。浅はかな考えというものですよ。

もちろん「あれはコネ。」と、エラい人&お金持ちな友人を結構な人数持っているウチの社長が、実際に聞いたかのような雰囲気でそう断じようとも、決して変わったりはしない。えぇ勿論です。しないですとも。

2009年01月21日

★お元気で。

クライアント先の担当者さんが会社を辞めたそうで、業務を引き継いだ人から挨拶の電話をもらった。不況の煽りをモロに喰らってた業界なので、このタイミングで転職というのは確かにアリな選択肢かもしれない。幸いにも担当してた仕事の大半は終了してるので、多分なんとかなりそうな雰囲気。

当人の選択は尊重するけど、せめて電話の一本くらいは欲しかった。なんだかんだで3年くらいは一緒に仕事やってて、それなりに仲が良かったつもりだけに地味にショック。年賀状にも『今年もコンビで頑張りましょう!』とか書いてくれてたのに。年始早々ピンですやん。コンビ愛はどうした。

確かに結構前に辞めたいかも…と言ってた時期はあったので、業務に大きな変化があった年末に、心の方にも大きな変化が訪れたとみるべきだろうか。ちゃんとした挨拶は出来なかったけれど、新天地でのご活躍を心からお祈りしたい。

最後に交わした言葉はなんだっけかなーと思い出したら、荷物届けるついでに新年の挨拶に行って来いと社長に命令された時だった。エレベーター越しに交わした『それじゃあ今年もよろしくお願いします!』がラスト。満面の笑みだったから、あの時には決断してたな多分。去年の暮れに交わした挨拶のまま終わっていれば、綺麗にオチていただけに少し残念。今度よろしくお願いされるのはいつの事なんだろうか。

では改めて。良いお年を。

2009年01月28日

★それが答えだ。

最近ちょっとした伝言用のメモに使ってるのが『印刷せんか紙』で出来たメモ帳。天糊製本(上部にだけ糊がついてて、一枚ずつ切り取れる伝票のような綴じかた)になっていて、それなりに使い勝手が良い逸品。印刷せんか紙を簡単に説明すると、少年ジャンプとか少年マガジンに使われてる色の付いたザラ紙そのもの。薄い赤とか緑とかのヤツ。上質感はゼロだけど、雰囲気があるので気に入っている。

この紙が色付きなのには理由があって、まず新聞古紙や印刷工場から出る"断ち落とし"部分の余った紙を原材料にしているため、紙としてのレベルが低く、その紙を脱墨して白くするのも難しい。なので色を誤魔化すために着色するのだけれど、色を変えるにしたって統一するよりはバラけてた方が、誌面としてのメリハリがつく。そんな複数の利害でもって、今の状態に落ち着いているのだけれど、もちろん少年誌がこの紙を使っている最大の理由は、コストが安くつくからであります。

紙にも色々ランクというか値段の差があるものなので、雑誌を見るときに少し注目してみると面白いかもしれない。乱暴に言うと『分厚くて白くて写真が綺麗に印刷出来ると高い』んだけれど、モノによってはそうでない時もあったりする。正直見た目がほぼ変わらないのに値段が違う紙も多数。大事なのはバランスで、白さ・厚さ・質感・色の再現性・写真の発色具合などを、値段という天秤にかけた結果がお手元にある雑誌の紙。ただ創刊・リニューアル時に編集長の一存で決まっちゃう事も無くはない。

人間の心理とは面白いもので、薄くて発色の良い高い紙を使っていた情報誌が、競合誌に迫力負けしないように、無駄に分厚くて発色の良い安い紙に変えてみたら、売り上げがあがった例なんてのもある。じゃあ分厚い方がいいじゃんとか思うのだけれども、紙が厚いと本が重くなるから、今度は別の部分で敬遠される事になったりもする。料理を美味しく見せたり、手にとって触って「何かイイな」と感じたり。普段は意識しない背景である紙が、人間の心理に作用する事は案外多いのだ。

水に濡れてバリバリになったエ口本。つまりそういうことである。

2009年02月15日

★ヘリコバクター。

遂にスギ花粉のシーズン到来。鼻粘膜が決壊する前に病院に行きたいとこだ。早い人はもう症状が出ているので、僕も時間の問題かと思う。慢性蕁麻疹になってしまったので、今も数日おきに飲んでいる『アレロック』という抗アレルギー薬があるのだけれど、花粉症でもこの薬を飲むので、既に自分の身体はこの薬無しでは生きていけなくなっている。まさかバファリンより信用せざるを得ない薬に出会うなんて。

花粉症になったのも蕁麻疹を発症したのも社会人になってから。花粉症は置いておくとして、腑に落ちないのが蕁麻疹。僕を苦しめている機械的蕁麻疹は、割と子供の頃からなるものだそうだ。だけど僕の場合はここ一年くらいで一気に痒くなった。父上も機械的蕁麻疹らしいから遺伝という線は当然あるんだけど、痒みの部分が微妙に納得がいかない。

蕁麻疹全般に関して言えることだけど、原因が分からない事も多い。基本的に対症療法しか無いので、それを特定するのが抑制の第一歩。慢性蕁麻疹の類なので、無駄な労力になると知りつつも、暇がある時には何か新情報が無いか調べている。最近怪しいんじゃないかと睨んでいるのがピロリ菌。胃に生息する細菌で、蕁麻疹持ちはピロリ菌持ちな事が多いのだそうだ。実際ピロリ菌を除去すると蕁麻疹が改善した例もあるし、胃ガンの原因にもなるものらしいから、今度時間を見つけて病院で検査しようと思っている。

ひょっとしてこのピロリ菌が、同じように花粉症にも関係してんじゃないのかとグーグル先生に尋ねてみた。すると予想通り検索にヒットする。やはり関係がある模様。なになに『胃ガンの原因のH.ピロリ菌は喘息、花粉症などのアレルギーを予防する可能性を持っている。』へぇ、なるほど。

逆だな。

2009年02月24日

★ありえないなんてありえない。

1台のケータイに複数のポイントカードや会員証を集約できるシステム「ぎゃざポ」の実証実験を始めたとのニュース。おおおお。超待ってた。ケータイにFeliCaが搭載された時から、いつか必ず出てくるだろうと待ち望んでいたけれど、遂に実現可能な段階にまできたようだ。ケータイという常日頃から持ち歩くアイテムだからこその機能。実用化→普及までにはまだまだ障害もあるだろうし、それなりの年月もかかるだろうけど、是非とも普及にこぎつけて欲しい。

電子マネーを日常生活に浸透させるうえで、ポイントカードほど邪魔になる存在も珍しい。なんせ『持ち歩かない』『手間がかからない』という発想とは真逆のコンセプト。そしてその存在意義が『お得感』と『固定客を逃がさない』で構成されているシンプルさ。単純かつアナログなこの仕組みは、それだけにデジタルの障害として非常に強敵。日本全国どこ行ってもポイントカードが溢れている。

この存在さえクリアできれば、電子マネーの普及が今より加速されるのは間違いない。ここ数年でFeliCa機能を持ったカードやら端末やらの普及は大分進んだけれど、肝心の機能を使ってない人達は未だに多い。ポイントの付与と支払いがケータイで完了できるようになるのが当たり前になれば、自然と電子マネーの利用者は増えていくだろうし、この機能と各社のポイントを連動させた相互利用サービスも展開できる。

ただ実現できたとしても、しばらくは大手しか手が出せない状況になりそうなのは簡単に想像が付く。中小規模の店舗が問題にしそうなのは、やっぱりコストなんだろうし。僕としては国が援助して全国に普及させろよとすら言いたいのだけれでも、流石にこれは乱暴な思考かもしれない。でも正直な話、世の中からポイントカード好きの主婦を今より減らせば、日本は少しだけ平和になるはず。

レジで行列が出来てるのに、申込書を書き始める人を見るたびにそう思う。

2009年03月17日

★出歯の亀吉。

天の恵みか凶事の前触れか。家にゴディバ、会社にロイズが備蓄されてるというハイパーチョコレート・デイズに突入。勿論どっちが美味しいかなんて野暮な事は考えない。両方貰いもので両方おいしい。すごい。うまい。ところでゴディバのロゴは、裸の女の人が馬に跨っている姿。変わってるなーと思いながらロゴの由来を読んでみると、公式ページにこんな記述があった。以下手抜き全開のコピペ引用。

"ゴディバの名は、11世紀の英国の伯爵夫人レディ・ゴディバに由来します。シンボルマークである馬に跨った裸婦こそが、重税を課そうとする夫を戒め、苦しむ領民を救うため自らを犠牲にした誇り高き彼女の姿です。領主である夫は領民への重税の免除と引き換えに、彼女に一糸纏わぬ姿のまま、馬で町を駆け廻ることを言い渡したのです。領民たちはそんな彼女の姿を見ないように、窓を閉ざし敬意を表しました。ゴディバの創始者ジョセフ・ドラップスと妻ガブリエルは、レディ・ゴディバの勇気と深い愛に感銘し、1926年ベルギーに誕生した自らのブランドに 「ゴディバ」の名を冠しました。"

以上引用終わり。素晴らしい感動秘話ではあるけれど、これ読んだ瞬間に「あ、ねぇな」と。これが史実かフィクションかはさておき、レディ・ゴディバの自己犠牲精神すらもさておき、確実に、絶対に、誰か見たに決まっている。古今東西現在過去未来人種年代性別問わず、エ口イ人は永久に不滅です。

そう思ってもう少し掘り下げてみたら、どうもこの話はイングランドに伝わる伝説のようで、予想通り覗いてたヤツも居たそうだ。それが仕立て屋のトムという男で、彼が『ピーピング・トム(覗き魔という意味)』という言葉の由来になった、トムその人ズバリであるらしい。まさかチョコからこんな逸話に繋がるなんて思いもしなかった。この知識は死ぬまで残るな。出歯亀さまさまだ。

ただチョコの味比べより、よほど野暮なオチにはなった。