« 最後に鍵を閉める人。 | メイン | 今年は二年参りをしてきます。 »

神の思し召し。

ありがたくも忘年会という素敵すぎる催しに呼ばれたので、一日だけ地元に戻っていた。非常に美味しい鍋ではあったけれど、デザートに食べたソフトクリーム2個が、『後味』という意味で誠に残念な結果を残してくれた事をここに報告したい。店員さんの注文ミスで余ったから食べただけだぞ。本当だぞ。

実家に戻ってお風呂に入り、小説を一冊読み終えた頃には時刻は3時。このまま昼まで寝るのだろうと確定的未来を予感しつつ布団に入ってザッツ就寝。起きたら朝の6時半で、近年稀に見るほど爽快な目覚めというオプションまでが付いていた。このまま惰眠を貪るのは少しばかり勿体無いので、健やかに起きて親に挨拶。熱い緑茶を一気に2杯ほど飲んでカフェインと水分摂取。なんか色々と面倒なので台所の流しに頭を突っ込んで蛇口を開放、寝癖をリセット。時刻は7時。オーケイ。着替えて出かけよう。

とはいえそこは奈良。元々遊ぶべきモノが少ない土地柄、加えて早朝というシチュエーションを踏まえれば、足を運べる場所は心底限られてくる。となれば今年の正月に買い求めた『お守り』を大晦日に返納するというのは、なかなかどうして冴えた時間の潰しかたではないかと愚考する次第なのだけど、世間様としてはどうなんだろね。

信心深い訳でも信じる神が居る訳ですらないけれど、キリシタン弾圧的に『十字架を踏め』や『お地蔵さまに蹴りを入れろ』等といわれれば、僕としては躊躇せざるを得ない。それと同じように『お守りを捨てろ』というのも、不可能ではないけど、まぁ出来ればやめておこうかと思っている。

電車を乗り継いで無事到着。元旦を翌日に控えた日の、その早朝の神社。県内でも有数の巨大さを誇るその場所は、当然の事ながら閑散としていた。早朝ランニングをしている人が何人か居る程度。露店も全て閉まってる。普段なら人ごみで溢れていて身動きにも苦労する砂利道、そのど真ん中を悠々と歩いて進む。こうして歩くと今まで見えてこなかったものが見えてくるから不思議だ。具体的には奥まった場所に鎮座していた『クレープーさん』という露店のネーミングセンスとか、近くにあった休憩所で缶コーヒーを購入した際の、『喋る自販機』による「いよいよ年末ですね」「一年間ありがとうございました」という大晦日限定の喋りとかだな。

ダイドー、恐るべし。