花火が上がると聞いたのは昼時だった。言われなければ忘れていたに違いないが、今日が地元の祭らしい。
おぼろげに毎年金魚すくいしかしていない寂れた地元の神社を思い出す。生まれてこのかた2~3回した行った記憶が無いその小さすぎる祭の思い出といえば、手に入れた金魚が無駄に長生きし、子供まで産んでさらに子供も10センチレベルにまで育った程度だ。これが無かったら存在すら忘れてるような、その程度の祭。
当然離れた地域で打ち上げられる花火かと思っていたら、どうやら地元の花火らしい。あの祭でか?と訝りながら「何発?」と聞くと『三十発やね。』というお答え。まぁそんなもんかと思いつつも「少ないスね。」と素直に答えると、『そりゃ地元の寄付だけで買ったもんやから』とアッサリとした答えが返ってきた。
花火は高いんだし何か他の事に使えばいいんじゃないかと軽く思ったりもしたが、実害がある訳も無いので思考停止。アッサリ記憶の片隅に追いやりつつ、休日らしい休日を存分に謳歌した。夜になり晩御飯をアテに自家製梅酒などを飲んでいても興味がプラスに傾くことはなく、むしろ忘れていたのだが、ふと見ると両親が出かけようとしていた。聞くと花火を見に行くらしい。『来るか?』と言われたが断った。ものの数分で終わるだろう。
家族の居なくなった居間で一人チビチビと飲んでいると、20時ちょうどに一発目。見る気も無いのに見ていたテレビの音が一瞬掻き消えるほどの轟音。本当にすぐ近くで打ち上げているらしい。
少しだけ興味を引かれ窓に近づいて見たがまるで見えない。というより音が大きすぎてどの方向から音が鳴ってるのかも分からなかった。その間も打ち上げられる花火。その度に聞こえてくる歓声。それが何度か続いた後、今度は連続して音が響いてきた。スパートらしい。
遅まきながら外に出ようと決心し、玄関へ向かい、靴を履いたところでその音がやんだ。終わったのだ。三十発しかないのだから疑いようも無い。
もう見れないと分かってはいたが外へ出た。少し歩くと反対側から僕とは逆に帰ろうとする人達とすれ違う。小さな子供が多い。あとはその親と老人達。だが十代後半から二十代が驚くほど居ない。住んでないはずは無いのだけれど。
老人達は満足気だった。子供達も満足そうだったが花火の短さに不服そうだった。浴衣を着ている子も居れば、歩きながらDSを操作している子もいる。ただ親はその様子を見て概ね満足そうだった。見てはいないが花火を打ち上げた人達はそれ以上に満足しただろう。もちろん寄付をした人も。僕と同じように音だけ聞いた人が何を思ったのかは分からない。同じように無駄じゃねぇのと考えて、同じように後悔したのだろうか。
他にも色んな感慨があっただろう。
寄付だけで打ち上げられた、たった三十発の花火。